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00:00熊本麻生大官房にやってきました
00:10標高935m 車でどんどんどんどん上がってまいりました
00:17新プロジェクトX今回の物語はここ麻生からさらにこの草原をどんどんどんどんどんいったこの先
00:28ちょっと霞んでますけれども山あいの温泉地が舞台です
00:36九州熊本の山あい 深い静けさの中 コンコンと湯が湧き出る
00:51黒川温泉 趣向を凝らした露天風呂を30軒の旅館が競い合う
01:01癒しを求めて年間30万の宿泊客が訪れる
01:13ここはすごく静かだからいいよ ここと違って
01:21風情あるところを見たくて来ました
01:23This is exactly a nice place and we hope to walk in the next day around
01:30だがかつてここは旅行客に帰り見られることのない
01:39寂れた温泉地だった
01:46惨め
01:47いやもう諦めですよね
01:50こんな山奥に希望などないと諦めていた
01:55若者たち
02:00彼らが出会ったのは恐るべき執念を秘めた変わり者
02:10田舎には田舎の生きる道があることを証明して見せた
02:17彼らが出会ったのは恐るべきだ
02:36空の中の銀河
02:39みんなどこへ行った
02:44All right.
03:14I can't remember the people who are looking at the sky, but I can't see the sky in the sky.
03:22Don't forget the sky to the sky, tell the sky to the sky.
03:32Don't forget the sky to the sky, tell the sky to the sky.
03:42Shizu's
03:47黒川温泉
03:50この山の空気と緑が もちろんな
03:54気持ち良いです
03:58黒川温泉には大型商業施設はありません 的
04:03こうした古民家風の温泉宿が軒をつ��でるのが魅力です
04:08It's a great魅力 for the home of the city.
04:15This is a魅力 for the home of the home of the city.
04:22But it's a great魅力 for the home of the city.
04:29今回お伝えするのはそんなふるさとを生まれ変わらせた1970年代日本は空前の旅行ブームに沸いていた全国津々浦々にまで客が押し寄せ観光地は軒並みにぎわった。
04:59だがそのブームはここには届かなかった。
05:09熊本県阿蘇郡南小国町。
05:17観光客を呼ぼうにもそこはあまりに山奥すぎた。
05:23もともとは周辺の農家が通う陶磁場。
05:30松崎育弘の家ももともと農家。
05:41稼ぎの足しにと父が旅館を始めたが子供心に嫌だった。
05:48当時の黒川は座敷での飲み会目的が多く、客は温泉には目もくれない。
06:00酔っ払いがほら絡んでくるじゃないですか、庁場やらに。怖かったですよ。
06:08ばあちゃんの後ろに隠れとったんですよ、こうしてから。
06:10家業は継ぎたくないと福岡の大学に進んだが、オイルショックで就職難。
06:22泣く泣く地元に帰った。
06:27こんな仕事じゃ結婚もできない。
06:31居酒屋で愚痴を言う日々だった。
06:34愚痴の相手は幼馴染の後藤健吾。
07:00健吾も意にそぐわず、地元に帰った一人。
07:09地元を抜け出したくて東京の大学に進学したが、やりたいことは見つからず、単位も揃わない。
07:19父から旅館を開くから帰ってこい、と言われ、大学を中退して戻ると、
07:32途端屋根の建物にがっかりした。
07:35ある日、客に聞こえよがしに言われた。
07:44冷たいビールを持ってきてくれ、と言われて、持ってきたわけですよね。
07:53お客さんがですね、上がっていってですね、もう一遍ここに行きたい人、とかいうわけですね。
07:58なんか、シーンとかいうような感じでですね。
08:04心ない言葉を、黙って飲み込んだ。
08:09恥ずかしい思いをしたくないというのが、一番の私の思っていたことですね。
08:22親父たちはですね、そんなこと言っているかという感じですね。
08:26少しでも自然に稼がないかというふうに、
08:28なんでお前はそんな甘いこと言っているかというふうに言ってましたね、私。
08:34うさばらしに、旅館の二代目たちは、ソフトボールに明け暮れたが、気は晴れない。
08:53ある日、ついにしびれを切らしたのは、
08:56一緒にソフトボールに入れ込んでいた、小笠原和夫である。
09:04妻の実家を継ぐため、熊本市からやってきた、小笠原。
09:16友人には止められたが、旅館経営という響きに、
09:22ロマンを感じていた。
09:26しかし、旅館の売り上げは、黒川の中でも最下位。
09:34情けない思いを抱えながら、5年が過ぎていた。
09:42友人とかが猛反対した、なんか来た以上、
09:47やっぱり何かを見せたいっていう、心抜け出したいっていう、
09:53それありましたね。
09:54地元に一つ、気になる旅館があった。
10:05観光鳥が鳴く黒川で、その宿だけ、唯一、客が途切れない。
10:12主は、後藤徹也。
10:19年配の同業者たちが、眉を潜める変わり者で、
10:24両親も呆れるばかり。
10:30だが、徹也に代替わりしてから、客が増えていた。
10:36ある日、徹也から、客を送迎する臨時の運転手を頼まれた、小笠原。
10:47秘密を探るチャンスだと思った。
10:53徹也さんのところに行って、スパイじゃないですけど、
10:57なんで、お客さんが来るんだろうっていうのを。
11:04仕事の合間に、旅館の様子が、横目に入った。
11:13玄関から、部屋の室内まで、空気が違って見えた。
11:21驚いたのは、風呂だった。
11:27見たことのない、その風呂は、洞窟風呂と名付けられていた。
11:38なんと、徹也の手作り。
11:41雰囲気がありましたもんね、入っとっても、お湯の温度もちょうどいいし、深さもちょうどいいし、のんびりこう、くつろげる、雰囲気の風呂、作られてましたもんね。
11:58さらに、当時、黒川の他の旅館にはなかった、露天風呂。
12:08景色の見え方まで、精緻な計算が、うかがえた。
12:14テツヤは、二十代の頃から、一人京都を巡り、庭や伝統建築を独学してきた。
12:28人は、何に心地よさを感じるのか。
12:42建物の寸法まで調べながら、黒川のあるべき姿を、考え抜いてきた。
12:50行き着いた答えは、本当の田舎であること。
13:00田舎には、人を癒す力がある。
13:04それを味わえる究極の風呂を作ろうと、野見と金槌で10年かけて、裏山を掘り抜いた。
13:21よそにない温泉が、そこら中に吹き出しとったわけですから、それをやっぱり一番の売り物にする、その地域の自然と温泉を大事に生かしていくということは、多分、鉄道さんはそれがほとんどだと思いますけど。
13:44小笠原が頼むと、徹夜は、風呂作りのコツを、惜しげもなく教えてくれた。
14:00石の置き方、見立て方。
14:08驚きの連続だった。
14:11デザインというのですかね。
14:16その石をどの辺に持っていくかとか。
14:20ちょっとすると、もげげになるんです。
14:22私たちすると、何かお越しっていう。
14:271年後、徹夜の教え通り、風呂を作ると、脚足が伸び、鈍血を抜けた。
14:36その様子に、松崎と後藤は驚いた。
14:45ブーンと増えてるんだ、客さんが。
14:52あ、うちも作ると言った。
14:56一番、あんまり、客が入らない量感が、ぐるっと飲んでいくわけです。
15:02じゃあ、なら、うちもネロテンブルを作ろうじゃないか。
15:05負けていられない理由があった。
15:12松崎は、5回目の見合いで、ついに結婚が決まった。
15:18福岡、大牟田出身の久美子。
15:27是非にと壊れ、聞いたことのない土地にやってきた。
15:34私が持ってた地図には、地図帳には載ってなかったんで、黒川温泉。
15:38全然、別世界というか、そういうあれだったから、やっぱり不安は大きかったですよ。
15:49帰りたい、帰りたい、帰りたいっていうのは、もちろんありました。
15:53うん。何回も。
15:55子宝にも恵まれた。不自由な思いは、させたくなかった。
16:08この売り上げじゃ、とてもじゃないけど、無理でしょ、っていうのは、ありましたね。
16:15まあ、自分の子供たちが、ちゃんとここで生活ができるように、っていうのはありますよね。
16:202代目たちは、続々とベビーラッシュ。
16:29暮らしのために、何としても、客を呼び込むしかなかった。
16:39ゲストにお越しいただいています。
16:41黒川温泉で旅館を営んでいらっしゃいます、松崎育弘さんと、後藤健吾さんです。
16:46よろしくお願いします。
16:47よろしくお願いします。
16:48黒川温泉今や日本を代表する人気温泉ですけれどもかつてはちょっと違ったんですねはい土曜日に半分ぐらいお客さんが集まればいいぐらいであとは1日2,3人とか4人ぐらいしかいなかったですへえ
17:09何が魅力かとか何が売りかっていうものを押し出せてなかったってことですね個性がなかったんですね個性がなかったはいうん
17:20温泉はいっぱい余ってあふれて川にどんどん流してるわけですよねそれでその温泉を利用してないただですねあの宴会のお客さんとか老人会のお客さんに来ていただいてですねその日その日を何かしのいでるというような感じの旅館街だったですねはい。
17:40あの一方で黒川には嫁さんがコンっていうねうちにやってたっていう松崎さんあのねえでもすてきな久美子さんが来てくれた何かぜんそく持ちか何かだったんで久美子のお父さんが空気のきれいなところに行けって言ってから行ったらしいんですよそれで来たんじゃないですかへえでも松崎さんもすてきだったってことですよね?
18:09それはわからなんですけどまあいいじゃないですかちょっと恥ずかしいですね何とかも食わぬって感じですかねそういう時期に後藤哲也さんがですね黒川が良くなるのためにはこうせないかんよということを常に熱く語ってましたねいやその哲也さんの旅館は何がそのお客さんを引きつける力だったんでしょうか魅力だったんでしょうか?
18:35やはり黒川温泉の秘湯的な感じの温泉のやだだったんですねドークス風呂も自然に掘ってやるわけですねただ穴を掘ったのではなくてこう曲がってこう自然になってそしてこの先は何があるかなという感じのそういう冒険心もかき立てられるような風呂ですねあ冒険心ねなるほどうまいこと言うなアハハハッ!
19:01あのうちも露天風呂作る時に徹田さんが来てあの作ってくれてたんですけどこっちが頼みもせんのにですね朝何かカツンカツン音がするって徹田さんが来てから石をこうやってたんですよそういう人ですへえ徹田さんのお母さんがうちの徹夜はあの石かコンクリートか何か触っておらんと何か落ち着かないみたいって自分たちに言うですよバカ徹夜。
19:03バカ徹夜バカ徹夜ってお母さんの方がいいですよ。
19:10朝何かカツンカツン音がするって徹田さんが来てから石をこうやってたんですよそういう人ですへえ徹田さんのお母さんがあのうちの徹夜はあの石かコンクリートか何か触っておらんと何か落ち着かないみたいって自分たちに言うですよバカ徹夜バカ徹夜ってお母さんの方がいいですよバカかなと思っていろいろ話してじゃあバカじゃないねって言ってよく会話されたんですか?
19:40うちはもう酒屋もしてたんですよねで店番してたんですよそうすると夜の7時ごろ来られてですね11時ぐらいまでぐらい長いみたいなあのですねあのレジの前で話し込んでましたね黒子はこうせないかんということ一生懸命語ってましたね私はだけうちも何とかなると思って一生懸命聞きました話を
20:09寂れた温泉地を何とか変えたいと考えた二代目の若者たち山あいにお客さんを呼ぶための戦いが始まります一念発起した二代目たちは一斉に露天風呂を作り始めた
20:39手取り足取りコツを教えてくれた
20:44嫌な顔一つもしないわけですね 俺がしてやるけんなーって感じですね
20:50なんかこう与えるだけっていうか自分がこうそれで塗って得しようっていう人じゃないわけですね
20:59それまで周囲から理解されることのなかった徹夜
21:08誰かに頼られるのは初めてのことだった
21:13後藤健吾は徹夜にある悩みを相談した
21:22恥ずかしいトタン屋根を何とかしたい
21:30テスヤが教えてくれたのは木を植えて田舎の雰囲気を作ることだった
21:42だがただ植えるのではない
21:47山の木々を見て学べ
21:55テスヤは一緒に山に入り 木の選び方から教えてくれた
22:13ケンゴの旅館は年を経て自然の木々に囲まれるようになった
22:23組合も刷新した
22:30テスヤは頼ってくる二代目たちにこう伝えた
22:37一見では土地は光らない
22:42だが皆が結束して磨けば風情が生まれる
22:57二代目たちが始めたのは木を植えること
23:04山を観察し枝ぶりの良い木を一本ずつ写す
23:16一年また一年さびれた山村の景色が緑で彩られていった
23:31次に考えたのは自慢の露天風呂を皆でアピールすること
23:38しかし大きな問題があった
23:45二軒の宿だけ露天風呂が作れなかった
23:50日本一の露天風呂ってからチャッチで売ろうとしたら
23:57二軒がどうしても露天風呂ができない仕切りがなくて
24:01これじゃちょっとダメねって言ってから
24:05そんなある日のことだった
24:12企画班の班長として頭を悩ませる松崎に
24:22妻久美子がつぶやいた
24:26露天風呂がなくても入りたいお風呂が入れるんであれば
24:32泊まってくれるよねって
24:35お風呂巡りしたらっていう
24:37いいんじゃないかね
24:41そっかってそっからですよ明日は
24:43どこの宿の風呂にも自由に入れる手形を作れば
24:51露天風呂を持たない宿にも客が来てくれるはず
24:56松崎は組合の会合で
25:03久美子のアイデアを切り出した
25:06だが受け入れられなかった
25:13売り上げアップを狙いそれぞれが工夫した露天風呂
25:25開放するには抵抗があった
25:30最初はね反対していました
25:33別のお客さんお家にっていうのがちょっと抵抗があって
25:39そんとして帰っちゃいました
25:41ダメだったって
25:46それでも久美子は夫を励まし続けた
25:52黒川に来て5年
25:59山合いの土地に愛着が湧いていた
26:04皆が結束すれば黒川の良さがきっと伝わる
26:14子どもたちもふるさとに根を張れる
26:23夫婦で何度も作戦を練った
26:28もうどうかすると夜中まではもう寝ようかっていうぐらい
26:32いろんな話をしながら
26:34いやあんたそう言ってるけどこういう風にした方が
26:36絶対いけると思うからとかっていうのはね
26:39言って
26:43松崎は手形の効果を根気強く説得し続けた
26:55少しずつ空気が変わっていった
27:02最初は
27:05って言うと人もやってみる価値あるねみたいな形になって
27:10てつやが言った
27:22進むのが一緒なら
27:24苦労するのも
27:26一緒だ
27:30好きな露天風呂にどれでも3つ入れる
27:34入刀手形の導入が決まった
27:38収入は各旅館で分け合う
27:48効果はなかなか現れない
27:52おとずれた客にみんなで説明を続けた
28:02資金を出し合い
28:07一緒に新聞広告も出してみた
28:11小さな温泉地だけど
28:19みんなでお待ちしています
28:23じわじわと客が増え始めた
28:35初年度6000枚だった手形の売り上げは
28:455年後には6万枚に増加
28:54カンコドリが鳴く黒川に
28:57年間20万人の宿泊客が
29:02訪れるようになった
29:07だんだん状況が分かってくると
29:11すごいことだなっていうのは
29:13私だけみんなが思ってきたのじゃないですか
29:19みんなで心がけたのは
29:22町全体でもてなすこと
29:28自分の旅館の客だけではない
29:31町全体が一つの旅館であるように
29:40他の泊り客も迎える
29:43しかしこのにぎわいの先に
29:49もう一つの試練が待っていた
29:54いやでも見事なアイデアですよね
30:02なんか2軒の旅館をこうみんなで助け合おうっていうのもね
30:05やはりみんながですねこの辺に協力したというかですねもやいという言葉がありますけども方言で分かち合うとかですね一緒に共有するとかですね黒川の場合は我々は商売で旅館なんかしてますけどもしかしそういうソフトボールしたりしたりして仲間意識ができてで一緒にやってですね分かち合うというかそういうことが大事だと思うのが
30:24しかしそういうソフトボールしたりしたりして仲間意識ができて一緒にやってですね分かち合うというかそういうことが大事だというようなのがなんか心の底にみんなあるんじゃないかという気がしますねはい
30:42ちょっとここで徹也さんの言葉を振り返ってみたいんですけれどこれですね一軒では土地は光らない田舎の雰囲気にこだわれっていうこの徹也さんの言葉が非常に印象的だなと思ったんですけれど
30:59いやそれまさにそのとおりですよ一軒ではどうしようもならないんですよみんなのやっぱりまとまらんと一軒は弱いでもまとまったら強い
31:11もやいっていうのは助け合いでしょ助け合った結果がお客さんが来たという形があるんですよお客さん来るんですよもやったら助け合うと自分のところだけじゃなくて隣もいいよ隣もいいよとしていくと自分のところもまたお客さん増えるというか
31:29人気に火がついた黒川温泉しかしそれが新たな試練につながります
31:402003年
31:44黒川の宿泉客は40万近くに達していた
31:53日帰り客も合わせ120万人 旅館は手が回らなくなった
32:04増えすぎた客に対処する術が松崎たちにはなかった
32:14手形で入浴するお客さんが増えすぎて困ろうって言ってからすごかったですよ1日に何百万何百人って来る間もあったもんだからあまりにも混雑だしそのやっぱりねお断りするのって大変な作業なんでこれはいかんな制限かけた方がっていうのはありましたよね
32:44手形を買ったのに風呂に入れなかったというクレームも殺到
32:53まとめ売りをやめると一方的だとさらに批判を浴びた
33:02せっかく増えた宿泊客は年に1万人ものペースで減っていった
33:14そんな中松崎の家
33:21久美子にがんが見つかり熊本市の病院に入院となった
33:33見舞いに駆けつけた長女の優子
33:42大学卒業後は地元に戻らず熊本市内のホテルで働いていた
33:50その時見つけたのは母が病床で結婚してからの日々を綴った手記
33:59お金がなくて障子や襖を自分で張り替えるうちとても上手になったこと
34:09子供をおぶって仕事をしまた来るよと言われると励みになったこと
34:21気丈に見えた母の思いをこの時初めて知った
34:36泣きましたなんかすごいめっちゃやってたしめっちゃ悔しい思いしながらも
34:46なんか強い意志を持ってやってたんだなって信念があるんだなと思ったら
34:51すごいなと思って
34:56親が懸命に磨いた土地
35:01旅館を継ぎたいと思った
35:05同じ頃ケンゴの娘マユも
35:14大学院を辞め家業を継ぎたいと地元に帰ってきた
35:22気がつけば三代目世代となる子供たちが
35:31続々と黒川に帰っていた
35:35リーダーとなったのは
35:44年長角の北里悠希
35:47黒川でも最も古い旅館の生まれ
35:56客足が減る黒川の先行きに焦りを感じていた
36:05かつて賑わった温泉地は今みたいな感じが
36:1010年後20年後に来たらどうしようみたいな感じの
36:14足掻かないと足掻いても落ちていくかもしれないっていうのは何かあったと思う
36:23何かをしなければと手形で卓球をするイベントなどを連発したが
36:32手応えはない
36:35客を呼ぼうと必死の北里は
36:40ある日声をかけられた
36:48あの後藤徹也
36:52ブームの後も変わらず街の木を整えていた
36:58徹也は言った
37:02一日一回
37:05自分の旅館を正面から眺めなさい
37:14その言葉の意味を徹也は語らなかった
37:19そんな中
37:31熊本地震
37:38黒川から
37:40客が消えた
37:42地域全体で収入が途絶える
37:50初めての事態
37:55あそこまで人がいなくなるってことはないですよね
37:58初めて先の見えない状況
38:02一月
38:06二月
38:08日増しに焦りは大きくなった
38:14北里は呼びかけた
38:18できることをやろう
38:21皆で一致したのは
38:24今こそ地元を学ぼうということだった
38:28アソっていう地域ならではの赤牛を広めていくっていうところだったり
38:39それをまた取り込んで何かこうお客様にね
38:43お出しできる量にできないかとか
38:46どこの間を阿蘇の野の花でしつらえたりとか
38:50ここらへんの稲作の神事を表現してみるとか
38:54アイデアをぶつけ合う中で
39:00気づいたことがある
39:02自分たちは大事なものを受け継いでいた
39:11父たちの代が築き上げたものは
39:17警官とか手形とか
39:19何かそういったものじゃなくて
39:22黒川全体でやるんだ
39:24地域でやっていくんだっていう気持ちだったりを
39:27当たり前にしてくれたこと
39:29試練は続く
39:36コロナ禍でさらに3年
39:40客足が遠のいた
39:48それでも励ましあって
39:51地元の学びを続けた
39:53本当の田舎である
40:01その原点を
40:03皆で追求した
40:06ようやく訪れた
40:12コロナ明け
40:13客は以前と同じように戻ってきた
40:26ありがとうございます
40:29今、宿泊客は年30万人
40:34小さな温泉地は
40:41満室が続く
40:47今も北里は
40:50あの教え通り
40:52自分の旅館の正面に立つ
40:55あの言葉の意味を
41:00こう考えている
41:05なんかやっぱり当たり前になっちゃいけんよってことじゃないかなと思いますね
41:09田舎の風情
41:11里山らしさ
41:13この感覚を当たり前に感じちゃいけないよって
41:16それをやっぱり守りながら
41:18これからまた維持していって
41:21磨いていくっていうのが私たちの役割だと思うんですよね
41:25もう一方お越しいただいています
41:31北里結城さんです
41:33よろしくお願いいたします
41:35お世話になります
41:37どうぞ
41:39ようこそいらっしゃいました
41:41地震とコロナ禍、北里さん、大変な試練のときだったんですよね
41:45そうですね、もうその1日を境に
41:48全くお客様がいらっしゃらなくなったっていうことは
41:51私たちの世代にとって初めての経験だったので
41:55何で私の代でこんなに立て続けにいろんなことがあって思いませんでしたが、1人だったらやっぱり乗り越えきれてなかったような気もします。
42:10やはりこうみんなと連絡を取ったりとかどうしよう、ああしようっていうのを共有できる仲間がいるっていうのはね、すごく心強かったですね。
42:20やっぱり地域のもやいがそこでも生きたそうですねやっぱりこう人じゃないですかね人人人人ですよね生さんねそうよ人よもう先輩たちは北里さんたちをどう励ましていたんですか?
42:41いや一緒に一緒にやってましたからこうしたらいい、ああそしたらどうするっていうか相談しながらやるからそうそうねそう一緒の仲間みたいな感じで何か楽しそうに見えたんですよ
42:59I think that there's a lot of fun.
43:03It's like, it's not too much fun.
43:04I think that's a lot of fun and fun, I think, like, we're a lot of fun.
43:10私は楽しそうに見えてそれを自分たちの世代でも楽しみながらやっぱりそしてでもやっぱり地域にふるさとに貢献したいという思いからですねそういった何かをしてまたクロカン温泉を盛り上げたいということをみんなとずっと話してました。
43:33かつていやいや継いだ旅館業だったわけじゃないですか。
43:45我々ラッキーだったですね後藤哲也さんっていうですね人がいてこうしたらっていう熱く語るんですよそれを実行した小笠原さんで先輩がいたわけですよそういう時に何か出会ったなっていう。
44:02やっぱいろいろ自分のしたいこととかそういうのがみんな皆さんで協力してしてもらったりしてそれありがたかったしもううれしかったですねちょっと楽しい人生ですよction
44:31In the past, there were plants that were planted in the last year.
44:42Hello!
44:47Hi!
44:48Hi!
44:49Hi!
44:50Hi!
44:51Hi!
44:52Hi!
44:54Hi!
45:05Hi!
45:10Hi!
45:13Hi!
45:17Hi!
45:19Hi!
45:20Hi!
45:22若き日逃れたいと願った故郷で今15人の孫に囲まれている黒川温泉の礎を築いた後藤哲也さん。
45:5286歳で亡くなるまで町の木々を手入れし続けた。
46:17その思いは今も受け継がれる。
46:22季節ごとに結束して町の景観を整える。
46:31テツヤさんはこんな言葉を残している。
46:44黒川は僕が生まれた故郷。その故郷を外から訪れた人が褒めてくれる。
46:57人生で最高の喜びじゃないかと思うちょります。
47:06かつての寂れた温泉街には笑顔が溢れている。
47:21次回の新プロジェクトX。
47:36衰退していた瀬戸内海の島を救ったのはアートだった。
48:55狩りの技身近な水鳥の知られたる真実に迫ります。
49:02第2週はあなたの細胞たちが背負った命の輝きと宿命の物語。
49:2711日日曜夜9時ニューヨークセントラルパークを望むベントハウスお値段360億ステータスを手にしたのは誰だ?
49:42自分の帰国として書いていいんじゃないかなって何か思った。
49:59屁かす beth.
50:002 issoはいいんじゃった。
50:03次回おはようございます。
50:04espero参加者のメンバーを dirいましょう。
50:08次回はい!
50:09以上です。
50:13次回はおはようございます。
50:19次回の予告。
50:22次回はおはようございます。