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00:00:00風の中に土の匂いにもう一度日本を見つける私を見つける
00:00:19新日本ふどき
00:00:30.
00:00:39.
00:00:43.
00:00:50.
00:00:59人生の節目を迎えて島を離れる大切な人との別れのセレモニー毎年3月下旬熱狂は1週間続きます大小140を超える島々からなる五島列島
00:01:27人が暮らす島は30ほど
00:01:34世界遺産に登録された教会で有名ですが他にも島ごとに美しいもの美味しいもの不思議なものがたくさん
00:01:50離れてもまた戻りたくなる島
00:01:57長崎五島列島春の旅です
00:02:04昔剣東市の船が中国大陸目指して渡った五島の海
00:02:15黒潮と津島海流がぶつかり東洋を一度歌われた漁場が生まれました
00:02:22五島列島南部に位置する福江島
00:02:31日の出とともに漁師が向かうのは
00:02:35ミイラク半島大きいおよそ1キロ
00:02:42赤瀬
00:02:44250年前から記録に残る伝統の漁場です
00:02:50仕掛けてあるのは幅270メートルにわたる低地網
00:02:59水深およそ40メートルの海の中は東シナ海を回遊する魚たちの通り道です
00:03:11海で遮れば一年中様々な旬の魚が飛び込んできます
00:03:18この時期赤瀬漁場を賑わすのが日本海から南下してきたカンブリ
00:03:33春の彼岸まで連日7、8トン、数百匹の水揚げが続きます
00:03:4620年間赤瀬で網を引き続けている吉川雅さん
00:03:54これが乗ってからで1万5000本が1発1万5000っていうのがありますね
00:04:051回で1万5000?
00:04:061回で1万5000 あれはすごかったんです
00:04:09潮流であったり漁道であったり
00:04:13このミイラクという高浅な地形がうまいこと魚を呼び込む場所になっている
00:04:19やっぱここは赤瀬独特の場所だと思いますね
00:04:26潮の速い海に鍛えられた10キロ超えのブリ
00:04:31いい艶でしょ?最高
00:04:35身は締まっていますがサシはたっぷり
00:04:42水揚げしてすぐ食べると歯ごたえありすぎなので
00:04:48これを薄い方が絶対うまいです
00:04:54コリコリが強すぎてうま味がこれを薄く切ると乗っかるんですよめっちゃくちゃ
00:05:00産卵前油の乗り切った冠が春まで食べられます
00:05:07朝6時
00:05:12港に吉川さんの漁師仲間が集まってきました
00:05:18まずタイムカード
00:05:23ここはミイラクの漁師が出資して作った株式会社です
00:05:30吉川さんたちは1日8時間勤務のいわばサラリーマン
00:05:37会社設立から16年
00:05:42安定した収入が魅力で現在の従業員17人のうち14人は漁師未経験者
00:05:50後藤でも深刻な漁師不足の対策にもなっています
00:05:56僕奥さんがいるので家に毎日帰れる仕事っていうのもそうですし
00:06:02毎月毎月安定してボーナスが変動するっていう形で
00:06:07やりがいもありつつ安定もありつつっていうところで
00:06:11吉川さんも別の仕事から24歳で転職
00:06:16今では現場のナンバー2です
00:06:19週6日の勤務で午後明るいうちに帰宅
00:06:36家族との時間を大切に
00:06:42子どもたちが所属する地元ソフトボール部のコーチも買って出ました
00:06:48お父さんがこうやって早く帰ってくることをどういうふうに思ってましたか?
00:06:53うーん、ゆるい仕事なんだなって絶対思っちゃいました
00:06:58いや、あれ、人より早く始めてよっけ?
00:07:04何もかゆるいとかって
00:07:07見て、かっこよくて、僕も漁師の夢を目指そうと思って、今、漁に行っているので、感心しています。
00:07:28五島列島の海の恵みは、奈良時代の比善の国不動記に書かれるほど、古くから知られていました。
00:07:40赤瀬で初めて魚の通り道を見つけたのは、江戸時代の漁師、西村ダンエモン。
00:07:48その後、代々西村家が、網元として漁を取り仕切ります。
00:07:53ダンエモンは、後藤藩を支えるほどの働きを認められ、藩主から広大な土地を賜りました。
00:08:05その稼ぎぶりは続き、昭和27年には長者番付、全国4人。
00:08:15地元でも敬われ、慕われる存在だったといいます。
00:08:20西村家の人たちが亡くなった場合に、その措置の時、西村家の人たちに、直接土を脱ぎを歩かせたらならないというようなことで、
00:08:36その白魚なんかずっと袴まで敷いて、そういうことを皆さん方が自発的にやってみたと。
00:08:43西村家のもと、赤瀬は1万を超えるぶりが連日上がる万越の漁場として名を馳せました。
00:08:58せーのー!
00:09:03恵みの海を受け継いだ漁師たち。
00:09:06サラリーマンでも、万越の夢の厚さに変わりはありません。
00:09:13福江島の南東、周囲6キロの大島。
00:09:231つの集落に28人が暮らしています。
00:09:28えーーー!
00:09:31いやー、すごい。
00:09:35ここらへん低いので気をつけてください。
00:09:38旧暦の1月、海岸の洞窟に島の人や観光客が集まってきます。
00:09:47その昔、年若い女の霊がたびたび現れたため観音像を作り納めました。
00:10:00明治6年のことです。
00:10:05毎年、手作りの鮮やかな衣に着せ替え、祈りを捧げています。
00:10:12ここは、溶岩が海へ流れ出る時にできた天然の洞窟。
00:10:27数万年前の火山噴火で生まれた大島で、人々が長い間悩まされてきたことがありました。
00:10:42道を歩くと、島の野良猫が寄ってきます。
00:10:55高嶋竹光さん、83歳。
00:10:59子供の頃、毎朝欠かせない仕事がありました。
00:11:04雨水を蓄えるため池が島には8つ。
00:11:19当時600人ほどいた島民が大切に分け合っていました。
00:11:26岩岩でできた小さな島では、降った雨がすぐ地中に染み込み、またすぐ海に流れ出てしまいます。
00:11:41川も地下水も島にはありません。
00:11:56溜池から運んだ雨水を家の亀に移し、風呂や洗濯などに使っていました。
00:12:03それぞれの家でも戦後、市や県からの援助で家庭に設置されたタンク。
00:12:25中にたまった雨水をろ過し、料理や飲み水に使いました。
00:12:32しかし日出りが続けば島は一気に水不足に昭和40年にはあと1日で水がなくなる緊急事態急きょ、佐世保から自衛隊の船で水が運ばれました。
00:12:57大島の寺には古くからの水への祈りを伝えるものがあります。
00:13:06江戸時代、旅の僧が島に持ってきたという仏像。
00:13:12裏側の手形は工房大師、空海のものといいます。
00:13:22そして表に刻まれているのは七福神の一人、弁財天の姿。
00:13:33今では弁財天の商売繁盛とか言われますけど、本来七福神の中で水を司る神様。
00:13:41命の水ですからね、これはね、この島にとっては。
00:13:45だから親からも、お金の貸し借りはやっても、水の貸し借りは絶対するなと。
00:13:52大島のすべての家庭に浄水道が行き渡ったのは30年前、平成6年でした。
00:14:07ここは水が作っとこやん。水を作るところ?そうそうそう。海水から真湖に作る。
00:14:16この施設は1970年代国が太陽光発電などを推進したサンシャイン計画の一環でした。
00:14:25海水に電流を流し特殊なフィルターで塩分を除去。
00:14:31現在は50人の生活用水にあたる、1日最大1万5000リットルを作っています。
00:14:40大島の住民で使い切らないもん、できるだけ。
00:14:45さっき、よそが切れたら大島だけは切れん。
00:14:48うん、もう使い切らんだけできるけん。
00:14:51まあ、生活がな。もう変わるから。
00:14:55高嶋さん、おかず持っていく?何か。
00:15:03ある?
00:15:04ある。
00:15:07おかず。
00:15:10おかずがする。
00:15:14おい!
00:15:17なんなりして食べるね。
00:15:19元気にするよ。
00:15:20はい、はい。
00:15:22人も猫も存分に使える水が待っています。
00:15:34五島列島北部周囲わずか3キロの武島。40年前100人以上暮らしていた島に今、住民は1人。
00:15:52島で生まれ育った小金丸梅雄さん。夏の台風に備え、畑の暴風林を作っています。これは断畜というイネ科の植物。
00:16:17広さ1端ほどの畑で20種近い作物を育てています。
00:16:22冬場は20種近い作物を育てています。
00:16:27冬場は日当たりを良くするため、断畜の暴風林を低く切ります。
00:16:32成長が早いので夏にはまた高く。
00:16:37施設によって高さを変える暴風林だと。
00:16:42日本初の心じゃないからなんてね。
00:16:49それはご自分で考えたの。
00:16:50そう考えたの。
00:16:51去年、初めて実った作物がありました。
00:16:52冬場は日当たりを良くするため、断畜の暴風林を低く切ります。
00:16:56成長が早いので夏にはまた高く。
00:17:01施設によって高さを変える暴風林だと。
00:17:06日本初の心じゃないからなんてね。
00:17:09それはご自分で考えたの。
00:17:11そう考えたの。
00:17:14去年、初めて実った作物がありました。
00:17:18これはグアバです。
00:17:22枝にぶら下がっているのは石。
00:17:28こう曲げるとね、この途中から新しい芽がバーッと出てくるんですよ。
00:17:33その中からいいのを選んで、そこに花を咲かせて、花で実をつけるというのが作戦なんです。
00:17:40それはどこで学んだんですか。
00:17:43体能の効果はだいたいこうしていました。
00:17:46黄金丸さんは東京の大学で農業を学んだ後、25年間、JICAの職員などとして、アフリカ、中南米など11の国々で農業指導や産業の育成を始めました。
00:18:02その間、久しぶりに帰るたび、激しく変わっていたふるさと。
00:18:09定年後、千葉の自宅に妻を残し、無視まで生きることを決めます。
00:18:16まあこの通りが一番の本通りですかね、この島ではね。
00:18:23まあこの通りが一番の本通りですかね、この島ではね。
00:18:26やっぱりそうなんですか。
00:18:27うん、これまで本家もあるし。
00:18:3011年前に帰ってきたときは、まだ7世帯9人の生活がありました。
00:18:37一人また一人と島を去る人たちを、小金丸さんは見送ってきました。
00:18:44何でね、島を捨てていくんだって言ったら、結構どなりましたから。
00:18:51そしたら、何を今さらね、今頃帰ってきて何を言ってんだと。
00:18:58俺たちは今までふるさとに残って、一応頑張ったんだと。
00:19:05これから残る人たちの人生をね、今まで憧れの都会に孫や子どもたちが根付いているから、行って一緒に住むんだと。
00:19:08これからどこが悪いと。
00:19:11分かるからね。
00:19:13あんまり教育が悪いと。
00:19:16無島には1日2便、周辺の島々を結ぶ定期船が運航。
00:19:23日用品は隣の小鹿島の商店に電話すれば積んできてくれます。
00:19:29無島には1日2便、周辺の島々を結ぶ定期船が運航。
00:19:36日用品は隣の小鹿島の商店に電話すれば積んできてくれます。
00:19:40島で1人の生活は5年目に。
00:19:48現在、五島列島の中で人口100以下の単独の島、つまり大きな島と橋でつながっていない島は12。
00:19:55無島列島の中で人口100以下の単独の島、つまり大きな島と橋でつながっていない島は12。
00:20:00無人になった島は昭和30年以降で11あります。
00:20:07無島もかつて一面に広がっていた段々畑が、小金丸さんが島を離れている間に消えていきました。
00:20:13ふるさとがもう無人島になってしまうっていうのは、どんなにあの、寂しい厳しいことかなと思うのは、
00:20:26誰だって一緒じゃないのかな、強でもないのかな。
00:20:33やっぱり最後の人になっていても、まあ、無人島になるまでこの島に寄り添おうかなと思いましたね。
00:20:41島おこしのため民宿をつくる計画を立てますが、資材の運搬費が高額で断念。
00:20:56用意していた資金は、農機具の購入や畑の世話でなくなりかけています。
00:21:03それでも、ふるさとがこれ以上荒れ果ててゆくのを放ってはおけない。
00:21:09島おこしのため民宿をつくる計画を立てますが、資材の運搬費が高額で断念。
00:21:11用意していた資金は、農機具の購入や畑の世話でなくなりかけています。
00:21:16それでも、ふるさとがこれ以上荒れ果ててゆくのを放ってはおけない。
00:21:25この日やって来たのは2つ隣りの中通島の人たち。
00:21:40年に3回、ボランティアで畑や道路の整備などを手伝っています。
00:21:47今日は学校の運動場の草刈り草は干して畑の肥料にします。
00:21:54黄金丸さんと親しい海上タクシーの船長の呼びかけで、11年前から島おこしを支えてきました。
00:22:01藪のようだった運動場がこの通り。
00:22:08藪のようだった運動場がこの通り。
00:22:15藪のようだった運動場がこの通り。
00:22:17藪のようだった運動場がこの通り。
00:22:21藪のようだった運動場がこの通り。
00:22:31藪のようだった運動場がこの通り。
00:22:33藪のようだった運動場がこの通り。
00:22:36藪のようだった運動場をお送りしていました。
00:22:58It's time for 3 hours, but it's time for the rest of the day.
00:23:11It's time for the rest of the day.
00:23:15It's time for the rest of the day.
00:23:20Thank you, everyone.
00:23:23It's time for the rest of the day.
00:23:48It's time for the rest of the day.
00:23:55It's time for the rest of the day.
00:24:02再び福江島。五島列島で一番多い3万人が暮らします。
00:24:12今年春、南東の崎山地区で大きな出来事が。
00:24:19おはようございます。
00:24:22おはようございます。
00:24:27小学3年生の坂井蓮司君。
00:24:31毎日通ってきた崎山小学校がもうすぐ閉校になります。
00:24:37創立150年。
00:24:40この地区で、ただ一つの小学校です。
00:24:47おはようございます。
00:24:52おはようございます。
00:24:59さあ、崎山小学校の生活、あと何日でしょう。
00:25:0336日。
00:25:0533日。
00:25:06崎山小学校で生活するのはあと17日だそうです。
00:25:11いくねーな。
00:25:12あっという間ですね。
00:25:15昭和30年代。
00:25:18全校児童700人を超えた学び屋も、今では34人。
00:25:267年前からは2つの学年が一緒に福祉学級で学んできました。
00:25:41しかし、今後も生徒数が増える見込みはなく、市の教育委員会が学校の統合を提案。保護者や住民と話し合いを重ね、2年前、閉校が決まりました。
00:25:58学校帰りのレンジ君。
00:26:04寄り道かなぁと思ったら。
00:26:07よし、お帰り。
00:26:10こんにちは。
00:26:11こんにちは。
00:26:12こんにちは。
00:26:13この人は僕のお父さんで大工さんをやっていること。
00:26:22はい。
00:26:23お父さんも崎山小学校の卒業生。
00:26:28そして、太平洋戦争開戦の都市に生まれたおじいちゃんも、この地区にはそんな親子がたくさんいます。
00:26:39自分たちの学校でね、約50人おったり。
00:26:43一クラスで同級生。
00:26:45村全体がね、子供がいないということはやっぱり寂しいですもんね。
00:26:51こんな時代になりましたね。
00:27:01しかし、大きいところに行って揉まれたほうがいいかなっていうのもあるしね。
00:27:06やっぱり高校に行ったときに、やっぱりぶつかるって思いますよ。ほんと。
00:27:12園児君もやっぱり同じ学年の子が多いほうがいい、それとも今のほうがいい。
00:27:31この春、福江島では19の小中学校のうち4校が閉校します。
00:27:42その一つ、崎山中学校の先生だった井出口七夫さん。
00:27:49崎山小の出身です。
00:27:52若い教師だった昭和30年代、大勢の生徒を港で見送りました。
00:27:59後藤の人口が急激に減り始めた時代でした。
00:28:04思い出というよりも、心に刻まれた時代というかね。
00:28:11集団就職のときですのでね。
00:28:15鳩羽に各学校含めても、2000年以上集まってでしょ。
00:28:21そして、長い竹竿に学校の応援旗を結んで、
00:28:30振りがずっと行ってでも見えるように、各学校の私たちも旗を振るんですよ。
00:28:3915歳ですからね。
00:28:42ですから、いろんな事柄に遭遇するんでしょうからね。
00:28:48そういうことがあったとしても、頑張ってこいということでね。
00:28:54見送っていました。
00:28:57さきやま小学校にその日が来ました。
00:29:04おはようございます。
00:29:09おはようございます。
00:29:12ついに、いよいよ、さきやま小学校で過ごす最後の1日です。
00:29:20この1年間、磨いたさきやま魂を大切にして、
00:29:27今日の最後の1日を過ごしてほしいと思います。
00:29:32はい。
00:29:34おはようございます。
00:29:35おはようございます。
00:29:36おはようございます。
00:29:37おはようございます。
00:29:44第5学年を修了する者。
00:29:49出口ゆずめ。
00:29:51はい。
00:29:55例年、学年の代表だけに渡してきた修了証書。
00:30:01最後になることしは、全校児童一人ひとりに手渡します。
00:30:16修了証書。
00:30:18坂井 蓮寺。
00:30:19第3学年の課程を修了したことを称する。
00:30:23おはようございます。
00:30:24おはようございます。
00:30:25おはようございます。
00:30:26おはようございます。
00:30:28おはようございます。
00:30:29おはようございます。
00:30:31おはようございます。
00:30:32おはようございます。
00:30:34おはようございます。
00:30:35おはようございます。
00:30:36おはようございます。
00:30:37おはようございます。
00:30:38おはようございます。
00:30:39おはようございます。
00:30:40おはようございます。
00:30:41おはようございます。
00:30:42おはようございます。
00:30:43おはようございます。
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00:30:47おはようございます。
00:30:48おはようございます。
00:30:49おはようございます。
00:30:50おはようございます。
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00:30:52おはようございます。
00:30:53おはようございます。
00:30:54おはようございます。
00:30:55おはようございます。
00:30:56おはようございます。
00:30:57おはようございます。
00:30:58おはようございます。
00:30:59おはようございます。
00:31:00おはようございます。
00:31:014月からは6キロ離れた福江小学校に通います
00:31:083,2,1
00:31:11みんなで福江小学校に行くぞ
00:31:20最後の後片付けもみんなで
00:31:31後藤列島は古くから牛の名産地として知られます
00:31:58北部にある小鹿島もその一つ
00:32:0530軒ほどの畜産農家が千頭を超える牛を育てています
00:32:12この道35年 土川重吉さん
00:32:57出荷しますからね 寂しいような高く売れて欲しいような
00:33:04複雑な気持ちですかね
00:33:09牛は牛舎だけでなく放牧して育てます
00:33:13トラクターを走らせてすぐのところに海を望む放牧場があります
00:33:20ここにいるのは全てお腹に子のいる母牛たち
00:33:34やっぱり牛舎よりやっぱりね 外の方が
00:33:40ストレスがない
00:33:42自分の好きなことをしておけ
00:33:44こいつらも
00:33:45みんな言うもこの牛おとなしいねっていう
00:33:47やっぱり全然
00:33:50分かるもん
00:33:51長崎花と呼ぶ岬に広がる放牧地
00:33:58出産直前の6カ月
00:34:01牛たちは一度も牛舎に戻らず
00:34:04海風に包まれて過ごします
00:34:07冬は一日一回牧草を与えますが
00:34:14夏場は自然の草だけで十分
00:34:17潮風を浴びて育つ草は牛の健康にもいいといいます
00:34:30このミネラル豊富な牛作りは
00:34:34おじかゆえやるね
00:34:36食べたものが孔子にずっと入っていて
00:34:40やっぱりおじかの素晴らしい孔子を
00:34:43全国に今送ってますよ
00:34:45おじか島で生まれた子牛たちは
00:34:509カ月前後で出荷されます
00:34:53そして松坂牛や佐賀牛などのブランド牛として
00:35:00日本各地で育てられます
00:35:03牛は島の成り立ちにも深く関わっていました
00:35:11700年前鎌倉時代末のこと
00:35:16当時島は狭い海で二つに隔てられ
00:35:22人々は米の育つ土地がわずかしかないことに苦しんでいました
00:35:27そこで漁師は
00:35:31神殿開発のため海を埋め立てる大工事に挑みます
00:35:36そして17丁部もの建武神殿が完成
00:35:42ところが一方
00:35:46土や石を運ぶため動員された農作業用の駅牛たちが
00:35:51難工事の中数多く犠牲となります
00:35:54人々は神殿完成の年
00:36:00牛の供養塔を建立
00:36:04毎年供養祭を続け
00:36:07人の暮らしと引き換えに失われた命を弔ってきました
00:36:11その後お鹿の牛は働き者の正直牛と称えられ
00:36:19島は駅牛の繁殖地として栄えていきます
00:36:24その伝統と技が受け継がれ注ぎ込まれたお鹿の牛
00:36:31やっぱり宝ですよね
00:36:35ね、先祖がこうしてお鹿に牛を持ってきて
00:36:40そういうことをずっと生きるから
00:36:43もう今はね、憎い気になりましたけど
00:36:46だからもう感謝です
00:36:51朝という、島ではこんな光景が
00:36:55牛の標識が見守ります
00:37:01放牧地と牛舎の間を自分のペースで行き来する牛たち
00:37:09牛たち
00:37:19土川さんの牛舎に若い親子の姿が
00:37:272年前、福岡から帰ってきた三女のさとみさんです
00:37:32夫婦それぞれ仕事がありますが
00:37:37週末や勤め帰りに両親を手伝っています
00:37:42小さい頃、牛の世話が大好きだったさとみさん
00:37:50自分が育った環境で、ちょっと子育てをしたいなっていうところがあって
00:38:01旦那と話し合って、お時間に帰ってくることを決めました
00:38:06子育てをここでしようかなっていう
00:38:08隅奈ちゃんは3歳
00:38:12お姉さんの若ちゃんは4月から島の小学校に入ります
00:38:15若ちゃん、島での暮らしはどうですか?
00:38:17楽しい
00:38:18ねえ、もう感謝です、やっぱり今
00:38:23もうあんまりね、あんまり言えないけど
00:38:26やっぱり孫、俺は
00:38:29やっぱり仕事も活気尽くし、俺が
00:38:31やっぱりありがたい、うん
00:38:34話ですね、うん
00:38:36うん
00:38:38うん
00:38:39剣刀師の頃から変わらぬ、空と海、
00:38:40空と海、
00:38:41空と海、
00:38:42あんまりね、あんまりね、あんまり言えないけど
00:38:43やっぱり孫、俺は
00:38:44やっぱり仕事も
00:38:46活気尽くし、俺が
00:38:48やっぱりありがたい、うん
00:38:51悲しいですね、うん
00:38:53うん
00:38:59うーん
00:39:00剣刀師の頃から変わらぬ、空と海、不時に残る豊かさ、仏様も、マリア様も、ともにある日常、彼らの宝物は、僕らの忘れ物。
00:39:27福江島の港近くに、幕末、外国船に備えるため、築かれた城があります。
00:39:42福江城です。
00:39:47城には、実は、お殿様もいます。
00:39:51では、どうぞ、皆様、お進みください。
00:40:01どうぞ、どうぞ、こちらの方に。
00:40:04後藤家第35代党首、後藤範明さん。
00:40:08はい、ということで、練習の成果が見事、向かわれました。
00:40:23サービス精神旺盛な殿が案内するのは、築城と同時に築かれた、藩主の隠居屋敷と庭。
00:40:37南方系の植物や溶岩など、後藤の風土を取り入れた日本庭園は、国の名称にも指定されています。
00:40:51築明さんが殿になったのは31歳の時、生まれ育ちは東京でしたが、後藤家に嫁いだおばの秀子さんから養子に迎えられました。
00:41:08叔母と一番兄弟の中で仲よかった母の子どもということで私が養子に来るというのが決められた。
00:41:21夫を早くに亡くし、子どものいなかった秀子さん。夏休みなど後藤まで遊びに来る妹の子をとてもかわいがっていました。
00:41:38ちょうどあのくすの木の下あたりで鯉を釣ってましたら、おばに見つかりまして、でそんなことしたらダメよってすごい怒られたんですね。
00:41:47その時はハッと驚いて、でちょっと池に落ちたっていう。
00:41:51ただおばは笑ってましたね。ほら罰が当たったという風に言われました。
00:41:58けれど、築明さん。小さい頃から養子の話を聞いていても、
00:42:04遠い島の暮らしに気持ちがついていかず先送りに。
00:42:11大学卒業後は旅行代理店に就職、世界を飛び回りました。
00:42:18ある日、ヨーロッパから帰る飛行機の中で太目にした機内紙の地図が人生を動かします。
00:42:27まさに日本とヨーロッパ、ここを今自分は行き来をしていると。
00:42:35で、次のページを見ると日本地図が出ておりまして、東京と長崎、五島列島っていうのがあったんですね。
00:42:42で、それはその前のページから比べると非常にもう短い距離だったわけですね。
00:42:48たったこれだけの距離の移動に俺は何をうじうじしてるんだろうと。
00:42:55かくして第三十五代の殿様となったのりあきさん。
00:43:01大変なものを引き継ぐことになりました。
00:43:06東京ドームとほぼ同じ面積の福江城内の土地です。
00:43:13当主個人が今も城跡を所有しているのは全国でも珍しいこと。
00:43:23石垣の中には学校もあります。
00:43:30本丸跡に立つ長崎県立五島高校。
00:43:35この日は卒業式です。
00:43:38こんにちは。
00:43:40こんにちは。
00:43:41こんにちは。
00:43:42こんにちは。
00:43:44のりあきさんは後藤高校で行われる式典には必ず来賓として招かれます。
00:43:51おはようございます。
00:43:53卒業生の皆さん、コロナ禍に多くのイレギュラーをよく乗り越えましたね。
00:44:05卒業おめでとう。
00:44:08この学校は明治33年、先々代の後藤の殿様の大英壇から生まれました。
00:44:23こちらは33代の当主、後藤森光の胸像です。
00:44:30この福江城内の敷地、それから校舎の混流にあたりましての費用等々を支援したと。
00:44:40資材も投じ、学校創設に尽力した森光の言葉。
00:44:47万国が交流を深め、発展していこうとするときに、学問をなさなければ文明の民とはなりえない。
00:44:59離島の子供に教育の機会をと考えた森光。
00:45:06後藤初の、そして長崎県立としては3番目と早い旧正中学の誕生でした。
00:45:19歴代の思いを継ぐ範明さん。
00:45:22サラリーマンのままなら定年ですが、殿様業に終わりはありません。
00:45:28こういう西の離島にも、こういう文化が、歴史があるというのをぜひぜひお知りをお聞きいただきましてですね。
00:45:37ぜひお越し、お立ち寄りくださいます。どうぞよろしくお願いいたします。
00:45:41どうも本日はありがとうございました。
00:45:43ありがとうございました。
00:45:45後藤で一番大きな福江島。
00:45:58大切に守り継がれる祈りの風景があります。
00:46:05集まってきたのは樫浦地区の住人年に一度旧暦3月21日南無阿弥陀仏を唱えながら長さ6メートルもの大地図を回しますその数100回。
00:46:32100万遍と呼ばれています。
00:46:39珠洲を回した数を椿の葉っぱで数えるのが昔からのしきたり。
00:46:46昔からのしきたり。
00:46:53儀式を行う3月21日は工房大師、空海の明日です。
00:47:01後藤ではお大師さんの火と呼ばれています。
00:47:08100回回し終えた大地図で体を叩きます。
00:47:25これで1年無病息災に過ごせるとか。
00:47:32何かあってでもお大師さんがいるよ、お観音様がいるよって思えば、それで気分がスーッとなって心の良いところですね。
00:47:51お大師さんへの信心はふだんの生活にも溶け込んでいます。
00:48:02阿弥陀如来を収めた浄土宗の仏壇の隣に、神言宗の階祖、空海。
00:48:12物心ついた頃にはもうお大師様っていう。
00:48:16うーん。
00:48:17例えば小さい頃の集団の検定があると、お水をいただいて、そしてお大師さんもこうして、頑張って来なさいみたいな感じで。
00:48:29お大師様、家族みんなお守りくださいみたいな感じで、今でもやっています。
00:48:35母を引き継いでいます。
00:48:38ばあちゃん来ましたよ、皇后さん、きょうも一日どうぞ、みんな健康で頑張れますように。
00:48:48空海の教えは浄土宗より古く1200年余り前後藤に広まりました。
00:48:56よろしくお願いします。
00:49:01平安時代の初め検討支線で中国大陸に渡り当時最新の仏教を学んだ空海。
00:49:11帰国の途中、嵐に遭いたどり着いたのが福江島の南、大宝の浜だったと伝えられます。
00:49:28そしてここ大宝寺に登留し日本国内初めてとなる神言密教の教えを説きました。
00:49:38以来、脈々と大師さん信仰が根付いていったと考えられています。
00:49:48大宝寺にはお大師さんの懐の深さを感じさせるものが伝わっています。
00:50:03高さ6センチほどのマリア観音。
00:50:09江戸時代、禁じられていたキリスト教の信者を寺が団家として守ってくれたお礼に子孫が治めました。
00:50:24僕は同じ宗教なので、人がすがるところ、心のすがる場所だと思いますので、その人々をその宗教関係なく助けてくれる。
00:50:38お大師様の教えはそういったことかなと思います。
00:50:43一方で寺に増え続けているものが。
00:50:51ずらりと並ぶ大師像は島の家々から持ち込まれました。
00:50:57その数300以上。
00:51:02亡くなって面倒見れないとか家引っ越すからこれどうにかお願いできませんかという方が結構持ってこられる方が多いですね。
00:51:15少なくなる島民と浦原に数を増していくそうした中昔からの風習を大切に守り継いでいる年に一度のお大師さんの日はお忙しだといいます。
00:52:12高さ2m、幅4m近い立派な祭壇。
00:52:19この日、一日のためだけに失らえます。
00:52:26後藤では家ごとにお大師さんの祭壇を作りお客を迎える風習が続いてきましたが最近はめっきり少なくなりました。
00:52:43こんにちは。
00:52:44こんにちは。
00:52:45こんにちは。
00:52:46こんにちは。
00:52:47こんにちは。
00:52:48こんにちは。
00:52:49きれいに飾ってますね。
00:52:51島さんの祭壇は一日中ご近所の参拝が絶えません。
00:52:58帰り際にはお土産まで。
00:53:17お供え物や飾り付けは一月前から念入りに計画を立てて準備。
00:53:28コロナ禍の前は参拝者に振る舞う120人分の食事まで用意しました。
00:53:36前の日はもう下ごしらえに友達なんか近所の人なんか手伝ってくれるからでも味付けとかするのは自分でせないといけないからもう2日ぐらいはもう寝ないですね。
00:53:54私が5か月か6か月の時のお大師さんの写真です。
00:54:01親がしてたんですね。
00:54:06幼な心に刻まれた親たちの願い。
00:54:10やっぱりね、やめられないですね。
00:54:17続く限りのように体が。
00:54:22無島にただ一人暮らす小金丸梅雄さん。
00:54:39心の支えにしている場所があります島で人生を終えた父の墓。
00:54:52これ一気だけ。
00:54:56島であたとおりしていた弟が最初に引っ越しと同時に持って行ったんですね。
00:55:02これはもう倒してしまうよって言ったんだけど。
00:55:05いやそういうのちょっと置いといてくれってね。
00:55:09で時々ここに来て、まあ語りかけるようにね。
00:55:14俺も間もなくこの島に体力的に限界が近づいて離れることになるかもしれないけど。
00:55:28その時はもうしょうがないね。
00:55:30でもそれまで頑張ってね。
00:55:35島お越しになりますので。
00:55:39見守ってちょうだい。
00:55:40おやじ。
00:55:45よいしょ。
00:55:47いつか自分の後を継いでくれる誰かが少しでも暮らしやすいよう島を整えておきたい。
00:56:00地方や離島は猛災血管だと思いますけどね。
00:56:03猛災血管が元気でないと人体は維持できないわけでしょう。
00:56:08もうどんなに東京や社会の東京に行っても。
00:56:11だって食料、水やエネルギーが1ヶ月届いたら多いじゃないですか。
00:56:16まさに。
00:56:18そういうことをやっぱり真剣に考えてもらいたいなと思いますよね。
00:56:253月に閉校した崎山小学校の酒井蓮司君。
00:56:43今日は新しい小学校初めての登校日です。
00:57:003年間一緒だった仲間たちとちょっぴり大人に近づく春。
00:57:15不安なこといっぱいあるかもしれんけど頑張ってきて大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫お友達できるよすごい。
00:57:24この人も小さな後輩たちの見送りに崎山小の出身で学校の先生だった井出口七雄さん。
00:57:39今日はこの仕組みとっても子どもたちとっても大事な記念しべき新たな出発の日ですから、もう黙って折れずに飛んできました。
00:57:50見送ろうと思って。
00:57:52島の中心部にある学校へ初めてのスクールバスに乗って。
00:58:08島それぞれに迎える新しい出会いの季節。
00:58:29五島の海は穏やかに泣いでいました。
00:58:46山車踊り。
00:59:02BS世界のドキュメンタリーはAI開発の裏側。
00:59:06トランスヒューマニズムやロングターミズム。
00:59:09巨大AI企業のトップが影響を受けている考え方とは。
00:59:13放送は今夜。
00:59:16BS世界のドキュメンタリー。
00:59:18外交官として活躍したドイツ人女性。
00:59:21彼女の農園にはナチスに接種され、強制収容所が置かれた過去がある。
00:59:26収容者を救おうと尽くした母は戦後逮捕。
00:59:30その母を救うため署名を集めた元収容者との恋は実らなかった。
00:59:36そして今、娘や孫から土地を継ぐことを拒まれている。
00:59:40ドイツ人家族のその後。
00:59:427日夜11時25分。
00:59:47美の壺、水晶。
00:59:51地球が宿す神秘の石。
00:59:54水晶が生み出すきらめきの世界へご案内します。
01:00:00地球のようにとっていきます。
01:00:02祝福が宮城への身にも塩を作ってくるようにすることをという意味です。
01:00:04祝福が宮城への秘密について、
01:00:06地球からは居びるようにすると一緒に進みます。
01:00:07入陣すると。
01:00:09祝福には石が大きな方形は少し、
01:00:13会社を揺すような場所に行われています。
01:00:17今回は地球の中にある王も言を入れます。
01:00:19はじめにおかしく思い出しました。
01:00:21今、彼女のことで。

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