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00:00BSTBS
00:34大政奉還から一番向こうは昭和のサンフランシスコ平和条約ここまでご紹介していこうと思っておりますがお付き合いいただきますのは岩間さんと小泉さんでございますよろしくお願い致しますまあ長い歴史の番組になりますが小泉さんこの中でここ注目してくださいっていうところありますか意外とロシア出てくるんですよねロシア詳しいですからねやっぱり日本の近代を考える上では
01:03ロシアファクターというのは欠かせないなというのがざっとこれ見てみるだけでも分かりますよねそうですか岩間さんいかがでございますかそうですねこの辺りからこの辺りから交通とか通信が変わり始めるそれによって世界がどんどん小さくなっていくっていうのが私たちが1990年代に経験したことと結構重なります面白いですその都度ご指摘いただいてよろしくお願いいたします
01:32番組は今回から近代国家となった日本が日清日露戦争を経て軍国主義の国へそして太平洋戦争と敗戦独立激動の近現代史を同じ時世界で何が起きていたのかを交えながら詳しくひもときます
01:57慶応4年8月27日明治天皇の即位の礼が行われ明治時代が始まります儀式で飾られていたのは地球儀なぜ地球儀だったのでしょうか明治2年5月母親戦争が終結します
02:27この理由は一体何だったのでしょうかこの頃世界では重要な交通インフラが次々完成します一つはアメリカの大陸横断鉄道そしてもう一つはスエズーンガですこれらは世界にどんな影響を与えたのでしょうか
02:47明治4年11月岩倉智美をはじめ明治戦府の主要メンバーが世界一周に出発します この岩倉施設団が欧米各国を視察する目的は何だったのでしょうか
03:03それでは徳川幕府から明治政府に代わり国内の大改革が始まる明治元年からの4年間を詳しく見ていきましょう関口博史の一番新しい近現代史
03:23では少しこれまでを振り返っておきたいと思います まず徳川義信大政奉還を発表し明治天皇が王政復古の大号令を発したということで始まりましたが
03:37戊辰戦争というものが起こってしまいます 戸場不死身の戦いからですね
03:42で最後高森と勝海州が会談して江戸城の無欠会場がなりました で江戸を東京に改めると
03:53また藍津藩が新政府軍と交戦約1ヶ月後には降伏 この時白虎隊も集団自決をしてしまうここです
04:05この後新政府軍は函館へ函館へ行っているわけですね
04:10今回のお話ちょっと説明しておきますと 慶応4年明治元年1868年明治天皇が即位の礼を行います
04:23そして元号を明治と改めました 世界を見ておきますと1868年の12月
04:31朝鮮王朝が明治政府の国書を受け取り拒否する
04:36朝鮮王朝というのは新国が創始国ですから 日本のことはあまり受け入れなかったという
04:44それからアメリカでは大陸横断鉄道がここで開通しております
04:51これが大きいんですよね世界史的には
04:54人が動くようになります
04:56そうですよね
04:57本当に乾燥してるんですよ西海岸はね
05:00そこに人工的に都市を作っていくっていうのが挑戦していくみたいな
05:06そういう感じがすごく出てると思いますけどね
05:09そうですね
05:10日本へ戻ります
05:12明治の2年です
05:13戊辰戦争が終結します
05:16五稜郭つまり北海道ですね
05:19旧幕府軍降伏いたします
05:21これ後ほど詳しくお伝えいたします
05:24そしてその頃エジプトスウェズ運河が開通いたします
05:30これもさっきのアメリカの大陸横断鉄道と同じで
05:34世界を近く近くしていく動きだろうと思います
05:37そしてヨーロッパに目を移しますと
05:41プロイセンとフランス
05:43不服戦争を起こします
05:45そしてプロイセンが勝利して
05:47ドイツという帝国が誕生することになるのがここです
05:53さらにロシアを見ておきますと
05:56ウラジオストクが極東の主要軍港となる
06:00これはこの番組でも何回かご紹介しましたが
06:03ロシアという国はあったかいところに港を持ちたい
06:06そうですね
06:07もう一個はロシアは近代に入ってから
06:10ものすごく急速に極東の方に進出していくわけですね
06:15本来ヨーロッパ人なので西側の方に行って
06:19だからこっちの方にいたと
06:20それが近代に入ってから一気にシベリアを征服し
06:24極東に進出し
06:27中央アジアにも進出しという風に
06:30彼らが足場固めとして
06:32主要な軍港だということで
06:34一つはカムチャカ半島のペトロファブロフスクと
06:37もう一つはこのウラジオストクに港を築くと
06:41特にこのウラジオストクは非常に深く切れ込んだ湾があって
06:45港として有望であると
06:48極東の首都としてウラジオストクを開発したという風に言えると思いますね
06:53ただこの時まだシベリア鉄道はないでしょう
06:56そうなんです
06:56ここ行くの大変ですよね
06:59ただ実際ロシア人は鉄道がないままに
07:02犬ぞりであるとか
07:04雪がなければ歩いたり馬乗ったりして
07:08一気に進出して
07:09日本が開国する頃には
07:11もうこの極東のあたりにしっかり時報を築いていたということですよね
07:15大国が二つして膨張してきているんですよね
07:20ここね
07:20ロシアが東へ東へと行き
07:22アメリカもこれほとんど砂漠ですよ
07:25西半分なんて
07:26そうでしょうね
07:27そこを鉄道を通して
07:29西へ西へと膨張していって
07:32さらに太平洋へと出ていくという時代に
07:36日本へ話が戻ります
07:39明治4年約300藩というものがあったんですが
07:45これを県に変える
07:47廃藩知県というものを強行します
07:507月
07:51新中国ですね
07:54と台東条約日清修行上記というものを締結いたします
08:01そんな頃に11月になりますが
08:04岩倉施設団が欧米に向けて出発するという会になります
08:09明治天皇の即位の礼が行われました
08:15慶応4年8月27日
08:20幕末の混乱で延期されていた
08:23明治天皇の即位の礼が行われました
08:26この時飾られたのが地球儀
08:29なぜ地球儀が飾られたのでしょうか
08:34122代明治天皇の即位の礼
08:39これは御所
08:40四神殿で行われました
08:42その絵が残っておりますが
08:44ここをよく見ると
08:46こんなものが置かれている
08:49地球儀なんです
08:50世界に見聞を広めることを表明するために
08:55地球儀が飾られた
08:57この頃の地球儀って今とほとんど変わらない
09:01正確なものですか
09:02もうほとんど変わらないと思います
09:04北極南極とかはどうだったかわからないですが
09:07普通に船で行けるところはほぼほぼ分かっていると思います
09:11ということは日本人も世界観みたいなものをある程度持てる時代ではあったと思う
09:16普通の人は想像もできなかったんじゃないかと思いますけどね
09:20国っていうものの意識をやっぱりここから作っていくわけですから
09:25当時の最新知識としてですよね
09:27地球が丸くて
09:30日本はどの位置にあって
09:32世界ってどういうふうにできててっていうのが
09:35実は明治天皇の即位の時に示されたって
09:38なんか非常に象徴的ですよね
09:40いよいよ日本が閉じこもるんではない世界に
09:44出ていくという時に地球儀飾られた
09:46なるほどなって感じしますね
09:49そして慶応四年1868年の9月の8日
09:53元号を明治に改め
09:56慶応四年を明治元年といたしました
09:59そして天皇一代に元号は一つとする
10:04一世一元の生がこの時に決められております
10:08この明治というのは
10:11中国の儒学の書から引用され
10:14いくつかの候補から天皇自ら
10:16くじ引きで決定したと言われております
10:19そして他の候補名は不明
10:21恐らくそれは伏せたんだろうと思われます
10:25明治天皇が江戸から名前を改めた東京に向かいます
10:32明治元年9月20日
10:35明治天皇は東京への行行
10:38東京を行います
10:40都が京から東京に移ってしまうと
10:44多くのクエたちが反対する中
10:47なぜ東京へ向かったのでしょうか
10:49明治天皇
10:52東京へ行行
10:54これを東京と言いますが
10:56多くの区業の反対を押し切り
10:59これは大変だったんではないかなと思われます
11:023300人ほど従えて
11:06京を出発
11:073週間ほどで江戸城に入ります
11:09そして江戸城を東京城に改めた
11:14これ東京と読まずに東京と読ましたようでございます
11:18でこの東京への行行の目的
11:22これは戊辰戦争で疲弊した東国の人民を
11:28天皇自ら慈しみ安心させるため
11:32というんですが
11:33大義名分がなければ
11:35それは大反対になっちゃうんでしょうね
11:37実はこの時
11:39大久保利道や三条実富
11:42木戸孝之ら
11:44政府首脳の間で
11:46天皇を京都から別の場所に移してはどうか
11:49という議論がなされていたのです
11:51政府首脳は
11:54天皇を京から離したいという
11:58思惑があったのではないか
12:00どう思われますか
12:02確かに私が当時の政府の人間だったら
12:05そういうことを考えるかもしれませんよね
12:06誰の目から見ても
12:08新しい時代になったんだぞって分からない
12:10デモンストレーションを何かしたいという時に
12:12天皇の居場所を移すというのは
12:14何か分かりやすいだろうと思いますね
12:17そして各国の皇子が天皇に越見いたします
12:2211月21日にはプロイセン
12:25フランスイタリアの皇子が来るそうですが
12:27プロイセンというのはまだ
12:29ドイツになっていない前ですね
12:3271年が統一ですから
12:34その前のプロイセン王国の時代ですね
12:37その次の日には
12:39イギリス・アメリカの皇子も越見する
12:42各国は天皇が明日ともに
12:45日本の国家原始だと
12:47これで判断することになるんですが
12:49天皇は12月に一旦帰京するそうです
12:54ちょっと東京へ行ってきたけど
12:57帰ってきたよという感じにしたんでしょう
12:59でも翌年再び東京へ向かいまして
13:04打上官など明治政府も一緒に東京へ移動しまして
13:09以降天皇は京に戻らず事実上東京先頭になったと
13:161000年ずっと京都にいた人が東京にデデンと出てきて
13:21幕府が亡くなった後に同じお城に入るっていうのは
13:25なんか時代が変わったって感じはきっとしますよね
13:29そうでしょうね
13:30だからいろんなとこに神経使いながら
13:33少しずつ少しずついろんなことやるわけですね
13:35明治天皇が東京へやって来た頃
13:40世界では交通網が革命的な発展を遂げ
13:44世界一周の時間も劇的に短縮されました
13:48アメリカで大陸横断鉄道が開通します
14:071869年5月アメリカで大陸横断鉄道が開通し
14:15東海岸と西海岸が鉄道で結ばれました
14:19人や物が大量に流通し
14:22南北戦争後のアメリカの発展を支えたのです
14:26さてアメリカ大陸横断鉄道の話をしましょう
14:31ニューヨークからオマハまではできておりましたが
14:35この時期にサンフランシスコまで
14:37つまり大陸横断鉄道が完成いたします
14:41ニューヨークサンフランシスコ
14:44約5500キロの鉄道
14:47すごいんです
14:48東京からシンガポールまでの距離とほぼ同じ
14:53数ヶ月かかった大陸横断が
14:56これで1週間でできるようになります
14:59でアメリカの太平洋進出が本格化いたします
15:05この時代アメリカもそうですし
15:08ヨーロッパの中でも鉄道網というのが急速に発達していきます
15:13これで普通の人が動けるようになるわけですね
15:17自分の町から港まで鉄道が通ると
15:20で土田から港に出て行き船に乗って
15:24違う国に行って新しい人生を始めてやろうというような
15:29世界に突然なるんですね
15:31さらに同じ時期
15:34エジプトでスエズ運河が開通します
15:37これは世界の海運に劇的な変化をもたらしました
15:42スエズ運河が開通いたします
15:47パナマ運河というのもありますが
15:49これはまだまだ先
15:5045年後でございます
15:51フランス外交官レセプスと
15:55エジプト政府が出資して
15:5710年で開通いたしました
15:59これで便利になったのはもちろんイギリスですね
16:03イギリスはインドを植民地化してましたね
16:06営業インド
16:07それまではこのアフリカ大陸
16:09ぐるっと回らなきゃいけなかったのは
16:11近道ができたわけでございます
16:14航路が大幅に短縮された
16:16営業インドはアジア進出のこれで拠点になりました
16:216年後イギリスはこのスエズ運河を買収しました
16:26これからもずっと必要だと
16:28ジブラルタル海峡を持ってます
16:31イギリスはね
16:31ここを通って地中海を通って
16:34スエズ運河を通って
16:36インドに至るこのインドへの道っていうのが
16:38大英帝国を支える大きな柱みたいな感じで
16:43これをいかにして守るかっていうのが
16:45ここからもうイギリス外交のテーマになるんですね
16:48やはりこれも世界を小さくするし
16:52人々が動きやすくなりますし
16:54狭くなる世界とここにも書いてありますが
16:57そうですね
16:58まず狭くなる世界って言って
17:00私真っ先に思い出したのは
17:01ジュール・ベルヌの80日間世界一周っていう
17:05名作がありますね
17:06そうなんですよ
17:07であれちょっと調べてみたら
17:08刊行されたのが1873年なんですね
17:11まさにこのアメリカ大陸横断鉄道と
17:15スウェズ運河が完成した直後
17:17作品の中ではアメリカ横断鉄道も使ってるし
17:21スウェズ運河も使ってるんですよね
17:23やろうと思ったら80日でだって
17:26世界が一周できちゃうかもしれないっていう
17:28なんか想像力の幅みたいなものを
17:31ものすごく広げたのかなという感じがします
17:34そうですか
17:35もう一つはスウェズ運河に関する岩間先生のお話ですけど
17:39まさにイギリスを支える大動脈でもあるし
17:43ところが動脈が狭まってるちょっと危ない部分でもあるんです
17:47どういうことでしょう
17:48つまりスウェズ運河ってとっても細いわけじゃないですか
17:51なんか動脈効果を起こしかねない
17:53ところがその動脈には依存せざるを得ない
17:56これは知性学の用語でチョークポイントってやつですね
18:00チョークって狭まっちゃってる
18:03とっても大事でみんながどうしてもそこに
18:06集まってきちゃうんだけど
18:08閉じるのは割に簡単っていうポイントが世界にはいくつかあるわけです
18:13スウェズ運河もそうだし
18:14同じ場所がいつも焦点になる
18:17かつ近くで石油が出るということが
18:20だんだん分かってくるっていうね
18:22そうするとみんなますます
18:24ここに意識が集中すると
18:2620世紀の世界をちょっと予言するようですよね
18:30この小さな地図ですけどね
18:32戊辰戦争が函館で終結します
18:38明治元年10月
18:43榎本武明は旧幕府軍の戦艦などを奪い北へ向かいました
18:49途中仙台で土方利蔵ら新選組の残党と合流
18:54およそ3000の軍勢で函館五陵閣を占拠したのです
19:00明治政府軍の函館攻撃が始まると
19:04旧幕府軍は大敗
19:06五陵閣で降伏します
19:08明治2年5月
19:101年4か月続いた戊辰戦争はここに終結します
19:15戊辰戦争は終結するんですが
19:19その模様をちょっと詳しく見ておきましょう
19:23この新政府軍がなぜ圧勝したのか
19:27勝敗を分けた大砲の違いみたいなところがあったようです
19:32明治政府軍の機関鋼鉄
19:36こういう船です
19:38が函館湾から艦砲射撃で五陵閣に
19:43ここから狙ったんですね
19:45約3.5キロある着弾すると
19:49確かこの五陵閣っていうのは
19:51この函館山のそばに役所が作られて
19:55これ危ないから会場から砲撃が届かない場所に
20:00築造したんですが
20:0210年で大砲が進化しちゃった
20:05アームストロング砲みたいなものが出てくるんですね
20:08射程距離4キロだからここから
20:11十分に五陵閣へ届いてしまいます
20:14五陵閣の方にも大砲があったんですが
20:17これは旧式なもんでございまして
20:19射程距離は1.2
20:211.2ってことは海まで届かないと
20:24最初の国際砲の領海って
20:28沿岸から三海里とされてるんですよ
20:32だいたい5キロぐらい
20:335キロぐらいな
20:34までが領海
20:35その三海里って何の基準で決めるかっていうと
20:40この当時の大砲の射程距離で決めてるらしいんですよね
20:43まさにそれがこの4キロぐらいの射程の大砲だった時代に
20:47まず最初三海里と決められたらしいんですよね
20:50ああそうですか
20:51じゃあこうした武器は誰が調達していたのか
20:56旧幕府軍にはプロイセンの武器商人シュネル
21:01この人はいわゆる死の商人として有名だった人物ですよね
21:06明治政府軍にはイギリス商人のグラバーがついております
21:11グラバーがまだ活躍してるんですこの頃
21:12この時南北戦争が終わったばかりなので
21:16アメリカで
21:17アメリカで
21:18世界中に大量の構成の武器があふれてるわけですね
21:21そうらしいです
21:23それぞれ上海香港などから南北戦争集結で余った武器を調達していたと
21:31そんなもんなんですね武器商人というのは
21:34南北戦争って初めて武器が工場で大量生産される戦争なんですよね
21:40だからこの戦争が終わった後にこのあふれた武器の量っていうのがおそらくそれまでの戦争の日ではないんですよ
21:48人類史上なかったぐらいの武器を作って使って
21:51その武器が大量に余ると
21:54それが一部が日本に流れ込んだという構図ですよね
21:57アメリカの南北戦争の影響がこんなところにあったってことですね
22:02そしてその戦争でストバ伏見の戦いから1年4ヶ月で終結いたしました
22:09戦死者明治政府軍約3500
22:12旧幕府軍約4700
22:15半数以上が相座藩だったそうです
22:19出生者の数相当少ないんです戦争としては
22:23むしろその内乱の時期をかなり短くすることができて
22:27明治政府が早く国をまとめることができたから
22:31日本っていう統一国家が生き延びることができたんですよね
22:35その戊辰戦争終結で反政府勢力を鎮圧
22:40新国家の体制づくりがスタート可能になった
22:46明治政府が国内の新たな体制づくりを始めます
22:54明治2年6月
22:57明治政府は諸藩が統治していた土地と人民を
23:02天皇に返上する反石奉還を行います
23:06目的は明治天皇を頂点とする中央集権国家の建設でした
23:12反体制の解体
23:15反石奉還
23:17反石の藩が土地という意味があるんだそうです
23:22石が人民
23:24これを天皇に返上することを反石奉還といった
23:29明治政府が目指したものは
23:31反による地方統治体制を解体する
23:36そして天皇を頂点にした
23:39中央集権国家を作ろうとしていた
23:42旧藩宗つまり大名ですね
23:46これを排除するため
23:48その第一弾がこの反石奉還
23:51木戸孝義、大久保利道、岩倉智美らが主導して
23:56土地、人民の支配権を天皇に返上することで
24:01まずは旧藩宗、いわゆる大名の権力を削っていった
24:07旧大名の力というものが
24:10温存されているとうまくいかないということだったんですね
24:15旧藩宗、大名は天皇が任命する
24:20知事として引き続き領内の統治を任されてはいました
24:26でももう藩宗ではありませんよと
24:29明治政府の政策を行う地方行政官のような立場になったと
24:36いきなり何か大きなことをやってしまうと反発も強いから
24:41明治政府が始めた統治体制の改革最終的に目指したのはおよそ300あった藩を解体し藩を治めていた大名をやめさせるという大胆なものでした
24:58明治政府が国内改革を始めた明治2年
25:12この頃、世界で起きていたことを見てみましょう
25:18さて、この反席奉還が行われた頃の世界を見ておきたいと思います
25:23まずはアジア、清、中国ですね、この辺ですね
25:28アヘン戦争がありました、それからアロー戦争があって、列強が清に進出してボロボロになりかけているという感じ
25:40それに地続きの朝鮮王朝、これは清を創始国としたまま明治政府の国書を拒否
25:48まずはそこを詳しく見ておきましょう
25:51清がこんな大きな国です
25:54この時代、清は政大公が実権を担い
25:59これは有名な女性ですね
26:02政大公という人は旧代の官邦邸の即帰
26:07実施は十代皇帝の同地帝
26:12豪華絢爛な宮廷生活を送っていたそうです
26:16そして国内政治は官僚の李公将
26:20この人ですね、李公将が主導していた
26:24欧米列強に対応するため
26:27軍隊の西洋化、近代化を李公将は進めていたそうです
26:33伝統的にはこのアジアに中国を中心とする一つの秩序があるわけで
26:39今そこに欧米列強というのがグワーンと伸びてきて
26:43別の秩序を押し付けようとしている
26:46その真が創始国の朝鮮王朝ですね
26:50こちらは国王古城、この人です
26:55の父、大院君という人がおりまして
26:59これが摂政として鎖国政策を推進
27:04この鎖国政策を取っている朝鮮王朝が
27:08明治政府の国書の受け取りを拒否いたしました
27:12その国書の中に創始国、中国のみに許された
27:18甲、スメラギという文字が使われていたために
27:23受け取りを拒否した
27:24なんか言いがかりっぽいな
27:27つまり真を見ているわけですね、朝鮮は
27:31日本はそれほど大事にしないというか
27:34日本は何度も国書を送りますが
27:37その都度、朝鮮王朝は拒否し続けておりました
27:42日本だって鎖国を解くという話になったら
27:45そこから蜂の巣を突くようにして
27:47国内が乱れて
27:49幕藩体制がとうとう倒れるわけですよね
27:53そうするとやっぱり朝鮮王朝にしてみたら
27:56怖かったんじゃないですかね
27:58じゃあ結局王朝どうなっちゃうのって
28:00心配すると思うんですよ
28:02先ほどの明治天皇が地球儀を置いたっていうのと
28:06すごく対照的ですよね
28:08昔のこの世界観の中に朝鮮は閉じこもっていて
28:13明治の日本っていうのは地球っていう世界観を
28:18しっかり受け入れたっていうその違いが
28:20すごく出てると思います
28:21さてちょっと先ほどのフリップに戻ります
28:27ロシアの話もちょっとしておきたいと思います
28:30クリミア戦争に敗戦
28:33東アジアに進出して
28:36この頃にウラジオストック港
28:38ここですね
28:39極東での主要軍港となりました
28:44そしてこの時代にトルストイが戦争と平和という名作を完成させた
28:52実はトルストイ自身はこのクリミア戦争に従軍してるんですよね
28:57そこで近代戦争のなんかすさまじさみたいなものを
29:01かなり骨身に染みて帰ってきていて
29:04でおそらくその経験と合わせて
29:06この戦争と平和というのを書いてるんだと思うんですけども
29:10その時に極東の方ではロシアは着々と
29:13ウラジオストックという軍港づくりを進めていて
29:17今でもそこから百数十年経った
29:20今でもまだこのウラジオストックって
29:23ロシア太平洋艦隊の主要港なんですよね
29:26やっぱり地形ってそんなに変わんないので
29:29人間がやることって100年か200年ではあんま変わんないんです
29:32同じような場所で同じようなことをしてる
29:35この番組も日露清掃断をご紹介して
29:40あれも同じようなとこでやりますよね
29:42聞いたことある場所で同じようなことが起こるんですよ
29:46まあこれもそうなんでしょう
29:49ヨーロッパに目を移しますとプロイセンとフランスが不服戦争をやります
29:54そしてプロイセンが不服戦争に勝利して
29:58ドイツ帝国というのはこの時代に出来上がるんですね
30:02ヨーロッパにドイツ帝国が誕生します
30:071870年7月鉄血最小ビスマルク率いるプロイセンとフランスが対立
30:18フランスが戦線布告し不服戦争が勃発します
30:23プロイセンは圧倒的な軍事力でフランスに圧勝
30:281871年1月勝利を機にビスマルクはパリのベルサイユ宮殿でドイツ帝国の成立を宣言したのです
30:38プロイセンフランスの不服戦争をプロイセンが勝利し
30:45ドイツ帝国というものが誕生します
30:4919世紀ってナショナリズムの時代なんですよね
30:53だんだんどこの国民だということをすごく意識する世界に入ってくるんですよ
30:59ドイツだけはまとまりがなかったわけですよ
31:03小さい国がたくさん集まってたって聞きましたが
31:06バイエルンとかザクセンとかいっぱい王様がいるわけですよね
31:10その中でプロイセンを筆頭にその他のもう少し小さいドイツたちをまとめていくのがこのビスマルクなんですね
31:19なんですけれども面白いのはナショナリズムっていうのは
31:24本来議会主義で憲法っていうそのワンセットだったはずなのを
31:29それをねじってドイツの国民国家を挙げるけども
31:33そこに皇帝っていうのを持ってきて帝国にするという
31:37このある技をやってのけたのがドイツ帝国の誕生なんですね
31:43そうですか
31:44明治4年1月18日不服戦争の勝利を機に
31:50ドイツ帝国の成立を宣言
31:52初代皇帝ビルヘルム一世の大冠式をベルサイユ級
31:59フランスですよベルサイユ級で
32:01そこでやる
32:02なんか嫌がらせみたいに思いますが
32:05パリを選挙はするけど
32:07フランスという国そのものを併合しちゃうわけじゃなくて
32:10引くわけですよね
32:11勝利の一つの象徴として
32:14一回相手の国の首都まで踏み込んでいって
32:17そこでちょっとしたパレードやったりしてみせるっていうのが
32:20勝利のお約束の儀式だったんですよ
32:22おそらくね
32:23このコーバ条件でございます
32:2550億フランの賠償金
32:27現在の約15兆円だそうです
32:30それとアルザス地方ロレーヌ地方の一部を
32:33ドイツ帝国に割上することによって
32:37戦争が終わると
32:39この領土割上が昔はそんなに問題にならなかったんです
32:44昔っていうのは18世紀ぐらいまでは
32:47王様同士の戦争っていうのは
32:49この地方を挙げたりもらったりっていうのが
32:52頻繁に起こっていたのが
32:54この辺りから難しくなるのは
32:57やっぱりナショナリズムの時代になって
32:59自分がどこの国の人間かっていうことに
33:02感情移入をするようになる
33:04土地を取った捉えるっていうことが
33:07お互いの後々まで恨みとか反感を買うような
33:11時代に入ってきたってことですね
33:13かもしれませんね
33:14これがですから第一次世界大戦
33:17第二次世界大戦
33:18この地方をドイツとフランスをどっちが取るかっていうのは
33:21ものすごく一つの焦点になり続ける
33:23なんかだから下地が第一次大戦に向かって
33:27なんか出来つつあるということですか
33:30国民が戦争を総力を挙げてするっていう
33:33そういう時代に入ってきたなっていうのが
33:37この辺りから感じがあるんです
33:40不出戦争の結果
33:43フランスからドイツへ脱上された
33:46アルザス・ロレーヌ地方
33:48ここはこの先第一次世界大戦
33:52第二次世界大戦でも
33:53その領有権が争われることになるのです
33:57明治政府は藩を県に置き換える廃藩地権を強行します
34:05明治4年7月14日
34:10明治政府は国内におよそ300あった藩を亡くし
34:14県に置き換える廃藩地権を強行します
34:18しかもかつての大名を完全に排除するという大改革でした
34:23藩体制の解体
34:27廃藩地権
34:30約300あった藩を廃止して
34:33県に置き換える
34:35目的は何だ
34:37藩単位による地方統治体制を解体し
34:42旧藩主を地方統治から完全に排除しようとした
34:47つまり旧藩主をそのまま残しておくと改革ができないと
34:52で藩籍法官で任命された旧藩主の知事を辞めさせて
34:59ついこの間これ知事にしたんじゃないですか
35:03でもう辞めさせる
35:05で政府から新たに知事を派遣する
35:08廃藩地権でかつての大名たちは完全に失職することになりました
35:16これには大きな反発が予想されたため
35:19明治政府は西郷隆盛が中心となり
35:23薩摩、長州、土佐の藩兵
35:25およそ8000人を政府直轄軍
35:29護神兵として設置したのです
35:31この直轄軍を後ろ盾に
35:34政府は廃藩地権を強行したのです
35:37明治4年1871年7月14日
35:43廃藩地権を強行します
35:45大久保敏道らが極秘利に信仰したと言われております
35:50全国の知事を統計上と呼ぶのだそうですが
35:55に招集して廃藩地権の御事の利を
35:59三条実富が読み上げた
36:01その雰囲気が描かれた絵も残っております
36:05でもこの服装を見るとね
36:07まだまだ昔のまんまですよね
36:09そうですね
36:10一歩一歩って感じですね
36:12私はソ連崩壊の時と比べちゃいますね
36:16ソ連崩壊の場合はやっぱり
36:18政治体制もガラッと変わったし
36:20社会主義から資本主義にガラッと
36:23ものすごい短期間で変えるんですよ
36:25食糧法だと
36:26そうでしたね
36:27その結果が凄まじい混乱だったわけなので
36:30ある程度やっぱり段階を踏んで
36:33みんなにこうまあまあまあまあって言いながら
36:36新しい体制に移っていったっていうのは
36:39まあなんか日本の近代の始まりとしては
36:42幸福だったんでしょうね
36:44あのまんまこう日本大分裂大混乱って
36:47内戦国家日本みたいなのがあり得たわけですよね
36:51そうですね徐々に徐々に改革しているということでしょうか明治政府は廃藩事件で失職する旧藩主たちの反発を抑えるためいくつかの策を講じます各藩の借金を明治政府が肩代わりし旧藩主に公家などと同じ家族としての特権を与えたのですそのため大きな反発は起きませんでした
37:20唯一反対の意思表示をしたのが薩摩藩の島津久光です抗議の意味を込め廃藩治験が行われた日の夜自宅の庭で花火を打ち上げ続けたと全然この程度の抵抗で済んだということかな
37:41うっすら狂気を感じる感じのいい抗議の仕方ですね一晩中この花火を上げ続けるというなかなかやけくそ感があって僕は好きですねこの抗議の仕方
37:53そして廃藩治験により全国一市三府72県一市が北海道ですこれは開拓市の市を使いました三府東京府大阪府京都府
38:07ちなみに琉球王国はどうなったかこの翌年明治5年には琉球藩の名で鹿児島県の管轄下に入りますそして明治12年沖縄県の設置その布石がここで打たれていたとここは王国でしたからねこれをどう扱っていくかここも徐々に徐々に取り込んでいったということでしょうか
38:35さて庶民にも文明開花の波が訪れます断髪霊が出されます三髪脱刀霊とつまり曲げを言わなくてもよいとそして種族も刀を持たなくてもいいと庶民の方は残切り頭を叩いてみれば文明開花の音がするとこれ昔からよく言われていることですが
39:00牛鍋を食べる残切り頭の男性がここに描かれておりますまげを落としたいわゆる残切り頭当初はあまり庶民に広まらなかったといいますが明治6年に明治天皇が和装から洋装に変えたことで広く世間に広まったといわれています
39:22秦と対等な条約が結ばれました明治4年7月29日日本は秦と対等条約日清修功条旗を締結しますそこには秦を総主国とする朝鮮王朝に対する明治政府の思惑が見え隠れします
39:52日清修功条旗というものを締結いたします
39:57明治政府の思惑は朝鮮王朝の総主国秦と対等な条約を結ぶことで日本が総主国秦と対等だとして朝鮮王朝に対し優位に立とうとしたんだそうです
40:13で日本の全権大使伊達宗成秦の代表李光翔貿易を目的として日本秦ともに開港しお互いの領土には進出はしない約束をする
40:28この真と対等な条約を結んだ日本が5年後に朝鮮王朝と日本に有利な不平等条約を締結することになる
40:40日本としては朝鮮半島も気がかりでしょうがないわけですね
40:45あそこがもしものことがあれば日本にも影響するという考え方はあるんでしょうね
40:51本当に近いですしね歴史的にも実際関係は深いわけじゃないですか
40:58半島がグーッと大陸側から日本に突き出てきていてちょうど陸の端になっているわけですよね
41:05だからこの陸の端を誰が抑えるのかということが日本の安全保障に影響するんだという考え方は
41:12正しいかどうかは別としておそらく割と自然に人間の頭の中に浮かんでくる発想なんだろうと思いますから
41:19となるとやっぱり何とかして朝鮮半島を日本の有利な形で抑えたいという発想は出てきますよね
41:26朝鮮半島との関係はこの先さらに日本に有利になるように明治政府は動いていくのです
41:37岩倉施設団が日本を出発します
41:44明治4年11月12日岩倉施設団が世界一周に出発します
41:55何のために日本を離れたのでしょうか
41:59岩倉施設団が世界一周に出発いたします
42:05その目的不平等条約の改正に向けた予備交渉
42:10欧米各国の政治体制産業の視察です
42:14でも大きかったのはこの不平等条約ですね
42:17これは1854年にペリーが来た時に日米和親条約を結びますが
42:23その後来たハリスが日米修行通商条約というものを日本と結びますが
42:29それを機に各国と不平等条約を結んでしまった
42:34その不平等条約の中身は地外保険を認め
42:39関税自主権も認められなかったんですが
42:42しょうがなかったのかなという話を以前にいたしました
42:46この番組では
42:47その不平等条約の改正に向けて
42:52岩倉施設団が世界に向けて旅立ちます
42:55国内に残る留守政府は
42:58三条真伸がトップだが実質的には西郷隆盛
43:02三条真伸や板垣大輔らからは
43:06内政がまだ不安定だから
43:08この派遣には反対というような声もあったそうですが
43:13施設団と留守政府の間で取り決めをして
43:18出発することになります
43:20その取り決め
43:21派遣中は新規の改革に着手しない
43:25官僚の増員人事は行わない
43:30廃判知見後の処理は速やかに行う
43:34これはやってていいと
43:36ただこの上の2つですね
43:37この大きなことには手をつけちゃいけないという約束をして
43:42岩倉施設団は旅立ってまいります
43:45日本を出てアメリカへ行く
43:48アメリカから大陸横断鉄道に乗り
43:51ヨーロッパへ向かう
43:52岩倉智美を全権大使として
43:55明治4年11月横浜を出発
43:59明治6年9月までの1年10ヶ月
44:03最初は1年かかんないで帰ってくるだろうという予定だったそうですが
44:08いろんなことが起こりまして
44:091年10ヶ月になります
44:11そして欧米12カ国を歴訪いたします
44:16これはアメリカに向かう時
44:18アメリカ号というアメリカの船で行くんですね
44:21その沖合
44:23これに向かう施設団の絵が残されております
44:27そしてこの施設団には多くの留学生
44:31最年少8歳の津田梅子様
44:34津田塾を後々作られる方ですが
44:38この方も8歳で参加しておりました
44:41そして岩倉施設団
44:45アメリカで艦隊を受け
44:47留守政府続々と改革をしてしまうという話が
44:51次週のお話でございます
44:53今日は第1回目でございます
44:55いかがでございました
44:578歳の津田梅子さんがアメリカに渡るという
45:00語学を自然に吸収するにはいい年なんですよね
45:05そのぐらいが
45:06当時分かってたはずはないんですけども
45:09ちゃんと連れて行ったんだなっていうのは面白いですね
45:13結果的に梅子さんにとっては良かったんでしょうね
45:15そうですよね
45:16小泉さんの今日のご感想が
45:19あんまり日本史と世界史と並べて考えたことがなかったので
45:23あれは実はこの時期だったのかとか
45:25なかなか面白かったです
45:27これからもその時世界がどうなっていったかっていうことを
45:32含めながら進んでいきたいと思っております
45:34よろしくお願いします
45:36ありがとうございました
45:37ありがとうございました
45:38ありがとうございました
45:38ありがとうございました
45:39ありがとうございました
45:40ありがとうございました
45:41ありがとうございました
45:42ありがとうございました
45:43ありがとうございました