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00:00BSTBS
00:04前回の一番新しい近現代史は岩倉施設団が1年10か月かけて欧米視察を行ったことをお伝えしました
00:31そして今回はその施設団の帰国後明治政府内部で起きた分裂騒動を中心にお届けします明治6年10月大久保敏道ら施設団の首脳と施設団が外遊中に政権を担っていた西郷隆盛ら留守政府が対立します
00:57一体政権内部で何があったのでしょうか 明治7年5月明治政府が初の海外派兵台湾出兵を行います
01:09なぜ政府はこの時台湾に軍隊を派遣することになったのでしょうか 一方世界では明治8年11月イギリスがスウェズ運河を買収し帝国主義路線をますます拡大させます
01:26この頃のイギリスの世界支配も詳しく見ていきます今回は明治6年から10年にかけてひもときます
01:56明治7年になります板垣大輔らの自由民権運動というものが始まりますその2月には不平氏族らが佐賀の乱を起こす明治維新でもっていろんなものがどんどん変えられていく中でこの不平氏族というのがどんどん増えてる感じがいたします
02:195月には明治政府初の海外派兵台湾出兵が行われますそしてその頃です
02:29新つまり中国ですが実験は聖太郷聖太郷ともいいますがまたイギリスはエジプトからスウェズ運河を買収するここですねここ船が通らないともうずっとアフリカ大陸の下まで行ってインドへ行かなきゃならない後ほど詳しくお話をいたします
02:59これよく分かりません後で小泉さんに説明していただきますまた朝鮮では高架島事件というものが起こります明治9年になります日朝宗皇上記というものを結んで朝鮮が開国へということになりますそして1877年英国統治のインド帝国が成立することになります
03:28明治政府首脳の分裂騒動が起きます
03:36明治6年10月欧米視察から帰国した大久保利道ら岩倉施設団と留守を預かっていた西郷隆盛や留守政府が対立
03:47明治6年の政変が起こります
03:51その対立の原因とは一体何だったのでしょうか
03:57明治6年9月岩倉施設団が欧米の近代化に衝撃を受けて帰国してみると施設団の留守中大きな改革には手をつけないと約束したものをこれを破って徴兵令地層改正など重要な改革が実施されておりました
04:15言ってみれば留守役はうるさいのがいないうちにできることはやっちゃおうみたいな感覚がありましたかね
04:23これ徴兵制なんてのは大きいですよね
04:26プラス学生も敷いてますからね
04:30国家の具体的な制度にかなり手をつけているので明らかに約束違反ですよね
04:35そうですよねさらに青函論が台頭し西郷隆盛の朝鮮派遣が内定していました しかも政府首脳陣の顔ぶれ
04:46頂き後藤 江藤 添江島 つまり薩長よりも土佐 非善で固められているってこともこれは大きかったんではないかと思われます
04:59欧米を見てきた薩長中心の施設団岩倉 大久保 木戸孝義ら 政官論に大反対いたします
05:09現在の国力で外政は難しい 今は国内の整備 内地を優先すべしということで双方が対立いたしました
05:21この内地を優先すべしっていうのはまさにビスマルクが言ってたことなんですよね
05:27なるほど ビスマルクに会ってきましたからね
05:29そうですよ もちろん日本の明治憲法に影響があったってことをよく言われてますけども
05:36ビスマルクもこの時代すごい帝国主義の時代で
05:41インドがイギリス領域になり フランスもどんどん海外領土に乗り出し
05:45ロシアも傍聴しっていう時代なんですけども
05:48ドイツはとにかく自分の国づくりに専念すべしということで
05:5320年間ビスマルク時代続きますけども
05:57そこでもしっかり中の制度を作ることに集中して
06:01あんまり外は向かないっていうのをやったので
06:04これちょっとそういうのを見てきた影響はあったのかなって今思いましたけどね
06:08あったでしょうね
06:09青函論を巡って対立した政府首脳
06:14果たしてどのような結末を迎えたのでしょうか
06:19内地派の岩倉智美大久保利道施設団として海外出ていたこの2人が明治天皇に
06:27西郷隆盛の朝鮮派遣中止を要請しました
06:31明治天皇が再化し西郷の朝鮮派遣は中止されました
06:38結局これで青函論を唱えていた青函論派が敗北して
06:44西郷板垣後藤江藤らが参議を辞任下野します
06:49その後追って軍人官僚ら約600人も辞職
06:53旧土佐藩非善藩の派閥が追放されることになりました
06:59そして大久保利道強大な権限を持つ内務省を設置
07:05食産工業政策と治安維持を担当する省庁をつくって
07:11自ら初代の内務協に就任
07:14政権を主導大久保政権が誕生したと
07:18これあっという間に大久保の力が強くなるんですが
07:22何でしょうやっぱりそれだけの実力があったっていうことかな
07:25私この大久保という人のことはよく分かりませんけど
07:29彼が作った内務省ってやっぱりその後も
07:31日本の近代史の中でものすごく大きな権限を持ってますよね
07:37今でも日本の省庁の中でも
07:41あそこは旧内務省っていうと
07:43一種のエリート省庁と似なされたりするわけですよね
07:46内務省ブランドって
07:4821世紀になってまだ通用するぐらいの
07:52150年ぐらい通用するブランドを作り上げたので
07:56ただもんじゃないだろうなって感じがします
07:58青函論で敗れた板垣大輔が動きます
08:03明治7年1月板垣大輔らは民選議員設立
08:12つまり国会の開設を求める憲白書を政府に提出します
08:17いわゆる自由民権運動がこの頃から広がり始めるのです
08:23民選議員設立憲白書を提出
08:28ちょっと分かりにくいですが
08:29この頃文明開化の中で
08:33フランスの思想家ルソーとかモンテスキューらの啓蒙思想を
08:37中江町民福沢諭吉らが相次いで翻訳して
08:42自由平等人権といった考え方が
08:46種族や知識人の間に広まり始めたんです
08:50これだって江戸時代こんな自由だ平等だ人権だなんていう
08:55考え方自体がほぼなかったでしょ
08:58ほぼというかゼロだったんでしょうね
09:00翻訳の言葉ですからね
09:02そうですよね
09:03これを板垣大輔が言い出す
09:07つまり青函論で敗れた前参議員板垣大輔
09:11もう青函論がダメならこっちかってことだったのかな
09:14民選議員設立つまり国会を開設しようという
09:20憲法書ですね
09:21これを提出しました
09:24現状では政治権力が天皇にも人民にもなく
09:31ただ有志先生つまり大久保木戸ら
09:36殺鳥罰の官僚による独裁にあると批判
09:40この窮地を打開する道は天下の抗議を張り
09:47民選議員を設立すること
09:50広く選挙で選ばれた議員による国会の開設が必要だと主張した
09:56これはこれで大切なことではありましたね
10:00そうですけども日本独特のねじれがあって
10:07つまり本来フランス革命とか19世紀って革命の時代ですけど
10:13王様とか皇帝とか何世代も確立してきた権力を打ち倒したり
10:21その権力を剥ぎ取ったりするために言っていることなんですけど
10:26この場合権力ではあるんですけど
10:28殺鳥罰っていう最近できた権力を横から攻撃している感じがあって
10:34明治天皇そのものに文句があるわけでもなく
10:39その辺がちょっと日本独特の展開の仕方だなっていう感じですけどね
10:44つまり絶対君主はいそうでいなくて
10:49その周りにいる有力者たちの間の権力争いとして
10:54議会の話が出てきたのが面白いねって話ですよね
10:57そう見えますね
10:58さらに4月にはいたがき
11:02郷里の高知県で旧土佐藩氏族の有志を集めて
11:07政治結社立志社を結成いたします
11:11天父人権
11:12人間は生まれながらに自由かつ平等で
11:16幸福を追求する権利を持つという思想を掲げ
11:21国会開設憲法制定を求める運動へと
11:25種族のほか農民層などにも広がり
11:29自由民権運動の口火を切ることになりましたが
11:34でも多くの日本人が
11:36なかなかなじみない考え方だでしょうね
11:40一方同じく青函論で敗れた江藤新平は武力で政府に対抗していくことになります
11:49青函論で敗れた江藤新平は武力で政府に対抗します
12:08明治7年2月江藤新平が不平氏族を率いて放棄した佐賀の乱が勃発します
12:18一体どのような戦いが繰り広げられたのでしょうか
12:23佐賀の乱
12:25佐賀戦争と最近は言うそうですがこれが勃発いたします
12:29青函論で下野した江藤新平
12:32この時39歳
12:34今日に佐賀の不平氏族たちの指導者に祀り上げられ
12:39約3000の兵で佐賀城
12:42これは佐賀県庁になっていたんですがこの時
12:45そこを選挙いたします
12:47ところが大久保敏夫氏
12:49自ら5000の鎮圧軍を組織して現地へ向かい
12:53その結果佐賀城を10日余りで制圧いたします
12:57江藤は脱出し鹿児島の西郷高森に決起を促しますが
13:02これで西郷は動きませんでした
13:05その1ヶ月後江藤は捕らえられて
13:09佐賀に休設された臨時裁判所で残首刑
13:15休設したそうです
13:17これは国家反逆罪ですからね
13:19今でもこれだけのことをやったら
13:22多くの国では死刑になるケースが多いと思いますけど
13:25しかも新しい国ができたばっかじゃないですか
13:29不安定のところに軍事クーデターを起こそうとした奴らがいたら
13:34やっぱり新政府の感覚としては死刑ですよね
13:38そして大久保利道は日記にこんなことを書いています
13:43江藤以下12人断刑につき罰文申し聞かせを聞く
13:50江藤集大少子なり
13:54うわぁこんなこと言いますか大久保っていう人は
13:58さすが明治維新の修羅場くぐってきた指導者は
14:02結構怖いなって感じしますよね
14:03さすが内務省ですねやっぱりね
14:09そして佐賀の乱
14:11その後の各地での不平氏族の放棄に火をつけることになると書いてあります
14:17氏族たちが乱を起こすことにつながってまいります
14:21明治政府が初めて海外に軍隊を派遣します
14:27明治7年5月明治政府初の海外派兵となる台湾出兵を行います
14:36一体なぜこの時軍隊を派兵することになったのでしょうか
14:42当時の台湾ってどうなっていたか
14:45新国中国ですね
14:47が統治しておりまして
14:49人口は200数十万人の島だそうです
14:53原住民はアミ族とかパイワン族とかタルコ族など
14:58十数の部族がいて
15:00そして中国大陸からの漢民族も混在していたと
15:04後年には日本統治時代
15:07原住民は山岳民族を総称して
15:11高佐護族と呼ぶようになります
15:14この出兵のいきさつなんですが
15:173年前
15:17那覇から
15:19那覇というのは琉球ですね
15:20から宮古島へ向かう琉球の漁船が難破して
15:2666名が台湾南岸に漂着した
15:30この辺ですね
15:31うち54人が台湾先住民のパイワン族に
15:38殺害される事件が発生しておりました
15:41日本と秦の間では
15:44漂流民保護の責任問題が浮上しておりまして
15:49秦は原住民を家外の民
15:53国家統治の及ばない民として
15:57事件の責任を回避した
15:59これ私たち知らないことですと秦は
16:02責任を逃れようとしていた
16:05で
16:06氏族の不満を軍事行動でガス抜きしたい
16:10大久保利道の思惑もあったと言われています
16:13疾病を強行したと
16:16だけど
16:17政官論は内地を大事にしなきゃいけないから
16:21やめとけと言って
16:22ここは出すんですよね
16:24だからやっぱりどうなんでしょうね
16:26当時の軍事的な感覚として
16:30朝鮮の攻略ってなったらこれはもう本当に大変だけど
16:34何が大変ですか
16:35広さであるとか朝鮮の王朝が持っている軍隊の大きさとかですね
16:41とかから考えると大変だけど
16:43台湾だったら近代的な軍隊があるわけでもないし
16:48割と簡単にいけるんじゃないかという判断だったのかもしれませんし
16:52ありえますね
16:535月上旬西郷隆盛の弟でもある西郷嗣道の士気で
17:00およそ3000の兵が台湾に上陸します
17:04果たしてどのような戦いが繰り広げられたのでしょうか
17:096月初め琉球人を殺害した台湾の原住民地区を制圧し
17:16日本軍は戦死者10人前後を出します
17:19しかしマラリアなどで約500人が病死したって言うんですから
17:25結構多くの人が亡くなってるんですね
17:28これに対し新国は即時撤兵を要求しました
17:34そりゃそうでしょうね
17:35ところが9月に大久保敏道北京へ行きまして交渉いたします
17:41協議は難航したそうですが
17:44北京のイギリス公使の仲介で
17:47日清両国五官上官が調印されたと
17:52清は日本軍の行動を義挙
17:57正義のための行動と認めということは
18:01これはイギリスがそうしなさいって言うんで
18:04渋々したかった感じがありますが
18:07結果的に日本に賠償金50万テール
18:12現在の価値で約150億円を支払うことになったそうです
18:19清という大帝国の勢力圏に軍隊を突っ込ませに行くわけですよね
18:25だから清がピンピンしてたら普通こんなことはできない
18:29やはり清がもう相当帝国として衰えが来ていて
18:34日本がそこに手を出してみたら
18:36実際清は何もできなかったところが
18:38賠償金まで払ってくれたわけで
18:40やっぱりこれはその清弱し
18:43もうあんまり強くないという感覚を
18:46日本も持ったし
18:47それを周りで見ているヨーロッパの列強も思うんじゃないですかね
18:52だから結構これは何というか日本のその後の先行きには
18:57まず清からだなという感覚を持ったんじゃないですかね
19:02そうかもしれませんね
19:03そして条約交渉の過程で
19:08清が台湾原住民が殺害した琉球人は日本の民と認めたと
19:15これが明治政府は清が琉球を日本の一部だと承認したと解釈
19:23これまで貴族が曖昧だった琉球
19:26日本貴族を推進することになった
19:30この後政府は琉球に清への兆候
19:35つまり琉球としては時々清へ挨拶に行かなきゃいけなかった
19:40これをやめろということを要求したそうです
19:44ところがこの時点で琉球はこれに抵抗して
19:48琉球の貴族問題はまだこれで決着したわけではございません
19:53明治8年5月
19:56政府はロシアとの間でカラフ島を放棄し
20:00代わりに千島列島を日本領とする条約を締結します
20:05明治政府の狙いは一体何だったのでしょうか
20:09明治政府はロシアとの間で国境を確定させます
20:18明治8年5月政府はカラフ島を放棄する代わりに千島列島を日本領とする
20:27まずは条約締結までの経緯から見ていきましょう
20:351855年日露通行条約でカラフ島は両国民昆虫の地ここですねカラフ島でエトロフ島とウルプ島の間に国境線を引くということで日露関係は成り立っておりましたしかしロシアはクリミア戦争敗戦後極東での南下政策極東へ極東へとなりとなりとなりとなりとなりとなりとなりとなりとなりとなり
21:05流れがきますその南下政策へ転換してカラフト開発を本格化させロシア人流入がこのカラフトに増えたとこれ日本も気になります
21:21そして4年前 ウラジオストックここですねウラジオストックロシア太平洋艦隊の拠点としてここを基地化しております
21:33ですからこの西側の方で戦争して敗れたロシアとしては東へ東へそして南へ南へという感覚になるんですか
21:45そうですね この誰を入職させるかってことなんですけど一つはルケーシューたちなんですよね
21:54この時ちょうど作家のチェーホフがこのサハリンを実際に訪れてルポするサハリン島って本を書いてるんですけど
22:03見てみると本当にちょっとした美材で捕まったような人なんかがどんどんこの島に送り込まれてきて片道切符ですよね
22:11でお前ら村を作って何とか開拓をしろということで非常に悲惨な環境に置かれてるっていうところを
22:18チェーホフはすごく酷明に記録してますし
22:22こっちの本土側のロシアのこの極東部分の方に関しては
22:28ウクライナ人をものすごくたくさん入職させてるんですよね
22:31だから実はこの極東の人たちっていうのは民族的文化的には
22:36ロシアとはちょっと違ったウクライナ人であるというケースが結構多くて
22:42意外とこのユーラシアのずっと向こうのウクライナなんですけど
22:46この頃我々は知らず知らずのうちにウクライナと接触を持った可能性が高いと思いますね
22:52そして日本はカラフトがなし崩しにロシア化するのを危惧
23:00一方で主権国家として国境の確定は急務であった
23:05しかし広大なカラフトを統治する財政的余裕が日本にはない
23:12代わりに千島列島を日本領にして交換ローンが体制を占めた
23:20ここですね
23:21これを日本のものにすれば
23:24こっちはロシアに任せていいやってことにどうもなったようでございますが
23:29これでもゆくゆく
23:30本的には分からないでしょうけど
23:32石油が出たりするんですよね
23:34そうですね
23:35でも実はこのちょっと前にロシアもアラスカをアメリカに売り渡してるわけですが
23:40そのアラスカからも石油が出ると
23:42そうですね
23:42やっぱりですね
23:44ここからもう何十年か経まないと
23:47そこから何が出るかって分からないし
23:49分からないですよね
23:50まだこの当時石油の時代でもないですからね
23:53石油天然ガスの時代でもないから
23:56この土地にエネルギー資源っていう観点が
24:01その評価軸の中に入ってないんですよね
24:03かもしれませんね
24:04魚取れるとか材木が取れるとか毛皮が取れるとか
24:09そういう観点で恐らくみんな地価を評価していると
24:12一方このカラフと千島交換の裏に
24:18イギリスの戦略が潜んでいたとも言われています
24:21果たしてイギリスの思惑とは何だったのでしょうか
24:27イギリスのパークス公使が日本に
24:29千島列島ならば周囲が海なので防衛しやすいと
24:34政府に助言した
24:36でもそれは何か
24:37将来ロシア海軍が太平洋に進出することを懸念していたイギリスが
24:45ロシア艦隊をおほうつく海に
24:48封じ込めようとした戦略ではないか
24:50要するにここを全部日本のものにしてしまえば
24:55ロシアが太平洋に出にくくなるとこういうことで言っているんですね
25:00イギリスはこの頃は世界帝国なわけですよね
25:04だからどっかの国がすごく大きくなってくることはいつも警戒しているので
25:10後に日英同盟1902年まで行くんですけども
25:15そこまで行く前段階としてはもうここで日本が
25:19その極東のバランスオブパワーの中で
25:22一つのコマになれるっていうことを
25:25イギリスは考えているんだなっていう印象を
25:29ちょっとこの
25:30何かっていうとイギリスが一種類出てくるっていうのは
25:34そういうことなのかなっていう気がしますね
25:36実はこれって非常によく似た構図が冷戦時代にもありましたよね
25:41いわゆる日本の三海教論っていうものが唱えられて
25:45宗谷と津軽と津島を抑えておけば
25:48ソ連太平洋艦隊を封じ込められるんだという話であったりとか
25:52逆にこのオホーツク海は
25:55ロシアの核ミサイルを積んだ原子力潜水艦のパトロール海域だから
25:59ですよね
26:00この千島列島プラス北方領土が戦略的に重要なんだとか
26:05だから多少構図は入れ替わるんですけど
26:08島の形自体は変わらないので
26:11同じような場所で同じような話が
26:14150年前も今も繰り返されていると
26:16まさに地理というものが持っている
26:19なかなか変わらなさですよね
26:21この頃清では清太公が実権を握っていました
26:27清太公を中心に当時の清の状況を見ていきましょう
26:35この頃の清、アヘン戦争に続くアロー戦争で英仏に屈し
26:43開国近代化に取り組まざるを得ない情勢になっておりました
26:48その清の政治を動かしていたのが清太公
26:53清太公満州族の出身
26:56清の第9代官邦亭の側室なんですね
27:02となって男子を設けます
27:05これが同地亭という男子でございますが
27:111861年この官邦亭が結核のため30歳で亡くなります
27:17そしてこの同地亭が即位して
27:21自身は後退後になったわけですね
27:25官邦亭の性質、東大公
27:29この方はまだ元気なんですが
27:32四近城の東の宮殿に住んでたので東大公
27:37だから清太公は西に住んでたんですね
27:40そういう呼び方をされていたようでございます
27:44東大公、政治にはあまり関心がなく
27:47清太公は幼い同地亭に代わり
27:51折衝政治を開始
27:53これはつまり要衝の君主に代わって
27:55政治を取り行うということになりますが
27:58政治外交の実務は
28:01李公正を中心とした官僚が
28:03政治を仕切っていたような感じです
28:06しかし1873年
28:0917歳になった同地亭が
28:12申請を始めるも
28:142年後に旧姓は天然痘とされております
28:19清太公、妹の4歳になる子
28:24清太公の妹がここにおります
28:27その子供、皇書亭を皇帝に立てて
28:33折衝政治を強化しました
28:36以後清太公、30年余りにわたって
28:40君臨することになりますが
28:43どうでしょう、政治的にも軍事的にも
28:47なんか相当できる人だっていう噂は
28:50聞こえてきませんが、この辺は
28:52有名なのはやっぱりこの清太公が
28:56艦隊建設費用を庭園に使っちゃったっていう話ですよね
29:00本来軍艦を買わなきゃいけないお金で
29:03庭作っちゃったって話は有名で
29:06だから後にこの日清戦争の時に
29:09清太公がちゃんと
29:10艦隊建設費用をつけてれば
29:13負けなかったのにというような恨み節は
29:16後々までありますよね
29:18だから国内的には非常に権力を握った人なんだとは思うんですけども
29:24あんまりこう
29:25秦が大国としてやっていく上では
29:28評判は良くないような気がしますね
29:29明治8年9月
29:33日本と朝鮮との間で
29:35戦闘が勃発します
29:37果たしてその原因とは何だったのでしょうか
29:43イギリスがスウェズ運河を買収します
29:48明治8年
29:53イギリスがスウェズ運河を買収し
29:56植民地であるインドへの最短航路を確保します
30:00その買収に至る経緯を見ていきましょう
30:03スウェズ運河はフランスの外交官レセプスが
30:08エジプトの許可を得て
30:09両国が出資して建設を開始
30:1210年後明治2年1869年に完成
30:16しかし最大の株主だったエジプトは
30:20運河建設で財政難に陥って
30:23株の売却を検討し始めたと
30:26ちなみに当時のイギリスは本国と植民地
30:30インドを結ぶエンパイアルートの確立が国策になっておりまして
30:37スウェズ運河の通行なら
30:40従来のアフリカ周りよりも早くインドへ行けるわけですから
30:46コロニ数半分は短縮できたろう
30:50だからここはやっぱり何としても手に入れたいところであったようでございます
30:55で真っ先に売却情報を得た
30:59イギリスのディズレイリ首相という方ですか
31:02この方がロスチャイルド家に買収資金を提供させて
31:09スウェズ運河会社の株式を買収したそうです
31:13ここにこの番組で初めて出てきました
31:16ロスチャイルド金融業で財を成したユダヤ系の財閥
31:21顧客には各国王室や権力者が多数おりまして
31:26全欧州に情報を持つ大きな一大権力ですよね
31:32これロスチャイルドっていうのはね
31:34イギリスは一夜にしてフランスを押しのけて
31:37スウェズ運河の筆頭株主になるイギリスは
31:41帝国主義路線をさらに拡大する
31:44要するに世界を制覇していくということになるわけです
31:49でも他の国はやっぱりイギリスをだいぶ警戒してたと思うんですが
31:54やっぱりこの時イギリス戦った国々というのは
31:57みんな勝てないか大変なこの心酸をなめるわけですよね
32:00だからこの軍事力を背景にした覇権でも当然あったと思いますし
32:05あとこの地図で見るとイギリスからスウェズ運河に到達する周りは
32:10まずこのスペインとアフリカの間のジブラルタル海峡との意味なんですよね
32:15ここもやっぱりきっちりこのジブラルタルの両岸をイギリスが抑えてるわけです
32:20そこに今でもイギリス軍が小規模に中途してるわけですよね
32:26だからこの国は小さいんだけど本当に大事なところは要所要所を抑えてあるっていうのが
32:31イギリスのこの強さだったんでしょうし
32:34それはその経済力と軍事力両方に支えられたものだったと言えると思いますね
32:39日本が朝鮮に開国を迫ります
32:44まずはこの頃鎖国中だった朝鮮の状況から見ていきましょう
32:53ここまでの朝鮮の鎖国と列強についてちょっと振り返っておきますと
33:011860年代朝鮮は鎖国政策をとって実権を握った国王古城の実府
33:10大陰君が鎖国上位を推進していた
33:15どこかで聞いた話ですね
33:18鎖国して上位する
33:191866年大陰君が大規模なキリスト教徒弾圧を展開
33:27あれは同じですよこれ
33:29フランスが艦隊を使徒
33:32艦城つまり今のソウルですね
33:36ここに近いこの高架塔
33:40カンファドとも言いますが
33:42に派遣したが撃退されたそうです
33:46フランスが敵わなかった
33:48さらに1871年にはアメリカが通商を求めて艦隊を派遣し
33:56カンファド高架塔を占領したんですが撃退された
34:01日本だってアメリカのペリーの艦隊が来て
34:05江戸を火の海にされながらもペリー艦隊を撃退するって方法はなくはなかったはずなんですよね
34:11やっぱり日本人はそこまでしなかったけれども
34:14当時の朝鮮王朝は首都の目の前の島を占拠されても逆襲してあくまでも抵抗するという道を選んだわけですよね
34:23それが背後に真がいるということの自信があったのかどうかちょっとこの辺は分かりませんけれども
34:29少なくとも彼らはちょっとした武力の脅しには屈さなかったから
34:34日本よりも開国が随分遅くなったわけですよね
34:37しかしその大陰君1873年古城の皇后
34:44明備とも言いますがの一族によって引退に追い込まれ以後
34:51古城の申請が始まると事実上明備一族が実権を掌握します
34:58ここにこういう写真がありますが
35:01明備と言われていた写真ですが
35:04これとも最近違うんじゃないか
35:06宮中の次女の写真じゃないかと言われているんだそうですが
35:10この時代には明備の時代になったと言っていいんでしょう
35:15日本がそんな朝鮮に開国を迫り
35:20明治8年9月
35:21黄架島事件が発生します
35:23一体どのような事件だったのでしょうか
35:28明治6年の政変で政官論は一旦静まったんですが
35:34政府は再び日朝交渉を開始します
35:38民備の政権でも開国への進展が見られないと見るや
35:43朝鮮を挑発し向こうから攻撃させて
35:47開国のきっかけを作るという強行手段に出る
35:51これがまた今後いろんな戦争が出てきますが
35:56要するに自分から仕掛けんじゃなくて
35:58向こうが仕掛けたように見せかけて
36:01戦争を始めると
36:0320世紀史でもよく見たような話ではありますけど
36:06なんかね
36:06そして日本軍艦運用を朝鮮に派遣し
36:13カンファド高架島近海で
36:15測量この測量というのもね
36:18ペリーも測量だ測量だと言って
36:20日本に近づいてきましたよね
36:22などの挑発行為を行うと
36:26朝鮮側が先に砲撃を始める
36:28これはもう狙った通りだな
36:30で運用の艦長は正当防衛だとしてカンファド高架島を砲撃して砲台を破壊さらに近くの島に兵を上陸させて要塞を占拠したとなんか後々も同じような手でいろんな戦争が起こることになります
36:50そして結局はこれ和義へ持っていったわけですね
36:53明治9年2月
36:57日本は朝鮮と日朝就航上記を締結します
37:02その内容とはどのようなものだったのでしょうか
37:06日朝就航上記を締結する
37:10これによって朝鮮が開国せざるを得なくなったようです
37:15明治政府は朝鮮との和義へ
37:18全県大使黒田清高
37:20副全県井上香織を派遣し
37:24軍艦3隻寄船3隻を率いて出発
37:27最先端のアメリカ製武器ガトリング砲
37:321分間に200発の銃弾を発射可能のガトリング砲
37:38これを4本搭載して武力で威嚇する
37:43これも日本がされたことですよね
37:48結局不平等条約を結ばざるを得なかった手で
37:53これをそうですか朝鮮にやりますか
37:56ちなみにこのガトリング砲って
37:58アメリカの南北戦争中に発明された兵器なんですよね
38:03だからアメリカの南北戦争で
38:06結構いろんな軍事テクノロジーの革新が起こって
38:10生産量も一気に増えて
38:12その武器がかなり日本に流れ込んでるんですよね
38:16結果的に日本が一番早く
38:19西洋の軍事テクノロジーを受け入れてるので
38:22比較的進んだ軍事大国になって
38:26またその西洋列強と同じようなことを
38:28周りの国やり始めるっていう
38:30なんかこう負の再生産みたいな感じがしますよね
38:34そんな感じですね
38:35そして朝鮮の開国を期待する欧米諸国も
38:40これを支持して
38:41日本有利な日朝修行蒸気を締結することになりました
38:46その蒸気の内容
38:48プサン、インチョン、ウォンサン
38:51この赤いところですね
38:53の開港
38:55やっぱり港開けって日本も言われましたが
39:00やっぱりこれが大事なんですね
39:02それから領事裁判権違い法権を定め
39:07関税自主権を認めず不平等条約を結ぶ
39:12これも同じだな
39:14そっくり
39:15で朝鮮を独立国と認め
39:19真の総主権をして
39:21つまり朝鮮を独立国として認めるということは
39:25真の影響力を削ぎたいということが狙いだったんですね
39:31で、総主国の真はこの事件をどう見ていたか
39:36朝鮮は真の俗国だが独自の政治を行っており
39:44責任を取れない
39:45つまり真がその責任は取れないんですよとしたため
39:50日本側が条約に
39:52朝鮮は自主の国独立国と解釈して
39:57国家として認めるということを明記しました
40:02それまでは真の俗国として扱っていたのが
40:06独立国なんだよということにしたわけですね
40:10しかし朝鮮と真との相続関係というんでしょうか
40:15これはその後も尾を引いて日清戦争の要因に
40:20それがなっていくことになります
40:22この頃世界ではイギリスの支配地域が拡大していました
40:28この後イギリスの動きも見ていきます
40:31イギリスの植民地支配が拡大していました
40:39明治10年1月
40:43イギリスが支配するインド帝国が誕生します
40:47まずはここに至るまでの
40:51イギリスの植民地支配の推移を振り返ってみましょう
40:541600年前後
40:58今日は1870年代の話をしておりますから
41:02250年くらい前ですね
41:04北米大陸に入植し
41:07植民地建設を開始し
41:09徐々に支配地域を拡大していった
41:12このアメリカ大陸へ
41:14イギリスの人たちが行くわけですね
41:171700年代中頃
41:21インドの植民地カオセ
41:23今度はこっち
41:24東南アジアへ行くわけですね
41:281763年
41:31北米大陸でフランスとの戦争で勝利し
41:34カナダを植民地として獲得した
41:371776年
41:40アメリカ独立戦争により
41:41アメリカが独立を宣言するという
41:44アメリカ大陸での話がございました
41:471770年
41:50イギリス人のジェームズ・クックが
41:53オーストラリアに上陸しております
41:56そして当初は
41:58ルケイチとしての植民が始まりましたが
42:011828年には
42:04大陸全土が営領になりました
42:07イギリス領
42:07自分の国民を入植させる土地と
42:12それから原住民がいて
42:13そこから何らかの利益を得る土地と
42:16両方混ざっているわけですよね
42:18アメリカが独立しちゃって
42:22自分の思うように扱えなくなるので
42:24その結果
42:26ルケイチもオーストラリアに
42:28という感じで始まるんですけども
42:301806年
42:33フランスとの戦いの際
42:35南アフリカの
42:37ケープ植民地を
42:38ここのことを言ってますか
42:401814年
42:43イギリス領となり
42:45周辺に支配地域を拡大
42:47そして1843年
42:50アヘン戦争で
42:51真に勝利して
42:53中国大陸にも進出
42:55香港を植民地化いたします
42:58そして1875年
43:02イギリスはスエズーンがを買収し
43:04インドルートの要所を確保すると
43:07インド帝国を成立させるのです
43:101877年1月
43:14ビクトリア女王が
43:15インド皇帝を兼ねることを宣言
43:18イギリスが直接統治する
43:21インド帝国が誕生する
43:23この後インドは
43:24イギリスの最も重要な植民地となり
43:28麺かお茶
43:28アヘン
43:30アヘンもまだ作ってましたか
43:31などの生産を推進しております
43:34これが当時のこの地図
43:36大まかに書いてありますが
43:39自治を任しているところもあるわけですね
43:41イギリスは産業革命以来
43:44世界の工場として発展
43:46大英帝国の覇権
43:48パクス・ブリタニカが
43:50この頃頂点を極めたということになりますか
43:54イギリスの経済学者のジェボンズという人は
43:58こういうことを書いております
43:59今世界は進んで
44:02イギリスのために奉仕している
44:04中国人は我らのために茶を栽培し
44:09インドは綿花を作り
44:11オーストラリアは羊毛を刈り取り
44:14地中海は我が果樹園
44:16ペルーとカリフォルニアの金はロンドンに注ぐ
44:21言いたい放題です
44:23こんな感じなんでしょうね
44:25世界の覇権国になっても
44:29右頂点という感じが見て取れますよね
44:33やっぱり人口すごい増えてたんだなって思いますよね
44:38この頃ね
44:39ロシアも膨張するし
44:41アメリカも膨張するし
44:43イギリスもすごいじゃないですか
44:45膨張の仕方が
44:46これ今やろうと思っても
44:48人が足りないんじゃないかと思いますよね
44:52その人口の爆発力を領土的な拡大に使ったという部分があるんでしょうね
44:58だからいろんな国がこのイギリスを見ながら
45:02帝国化していくわけですよね
45:04日本も遅れませながらそこへ出ていくということになっていくわけですね
45:10さて次回でございますが
45:15西南戦争が始まりますか
45:17西郷隆盛がそれによって自害いたします
45:21また木戸隆盛が病死する大久保としみちが暗殺される
45:27そして世界ではロシアとトルコ
45:30ロト戦争というものが勃発いたします
45:34ありがとうございました
45:35おめでとうございます
45:36ありがとうございました