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00:00今、世界は混迷の堂を深めています。
00:12自由貿易体制を破壊しかねないアメリカと中国の対立。
00:20領土的野心をたぎらせるロシア。
00:25これまでのルールを踏み越えたリーダーが大国を率いる、指針のない時代が到来しています。
00:36日本は秩序なき世界をどう進んでいけばいいのか。
00:44今回、歴代政権トップとある政治学者が交わした外交をめぐる貴重な記録が見つかりました。
00:55そこには、日本が厳しい外交問題に直面した時の教訓が刻まれていました。
01:07放送がこの国の姿を伝え始めて100年。
01:13完膚なきまでの敗戦を経験した日本は奇跡と呼ばれた復興で経済大国と呼ばれるまでになりました。
01:24しかし、グローバリズムが設計していった時代、日本は徐々に自信を喪失し、進路を見失っていきました。
01:35困難な時代の中に、日本人はどのような理想を掲げ、問題を克服しようとしてきたのか。
01:45その、まだ報われていない苦闘の中にこそ、私たちが託すべき未来があります。
01:56シリーズ、みかんのバトン。
02:00第2回は、ある政治学者が残した政権中枢との膨大な記録を通して、日本の進路を見つめます。
02:11去年亡くなった岩木部誠さん。
02:16この30年余り、時の総理大臣から提言を求められていました。
02:2321世紀の不透明な国際情勢の中、理想とリアリズムに裏打ちされた外交の重要性を説き続けました。
02:38広い視野の中で、我が愛する日本をも客観化する、相対化して、世界全体の中で、この国の位置とかあるべき姿というのを考えていく。
02:53日本の進路を問い続けた学者の外交の未来への遺言です。
03:10岩木部誠先生に大きな拍手をお願いします。
03:15去年2月、岩木部さんが亡くなる2週間前に撮影された映像です。
03:23これからトランプであろうとなかろうと、世界秩序をアメリカと中国が前向きに作っていくという姿勢はなかなか取れないでしょう。
03:32どちらもね、あらくれですね。
03:35特にロシアがジャングルの掟にね、もう一度戻してしまうようなことをやって、北朝鮮や中国はそれは悪くない。
03:45アメリカの支配に対する朝鮮として、よろしいと思っているところがあるから、大変危ないです。
03:51そういう中で、日本とヨーロッパが正気を失わずに、なんとか国際秩序を支えていかないとこれからもたないと思いますね。
04:03この1年後の世界を予見しながら亡くなった岩木部さん。
04:10流動化する国際秩序を維持するために、日本が主体的に果たすべき役割がある。
04:18アメリカと中国。
04:212つの大国に挟まれた日本の外交とは何か、問い続けてきました。
04:27裁判年の岩木部さんが、中国側と接触していたときの映像が残されていました。
04:36おととし10月、福田康夫元総理大臣と共に北京を訪れていたのです。
05:15イオキベさんはこうした場で常に本音をぶつけ合うことで信頼関係を築こうとしていました。
05:43皆さんは中台中法院もアメリカに本学しからんとおっしゃるけれども、それは中国自身の行動の反映ですよ。
05:54なおしなかよ、ずん、俺のもんだと言って、実際に埋め立てほしい軍事基地化して、自らの行為を反省しなきゃダメですよ。
06:03近年の不透明な日中関係を最後まで危惧していたといいます。
06:22今、かつてない厳しい国際情勢の中を日本はどう歩むべきなのか。
06:31その一つのヒントは、冷戦後の日本の模索の中にありました。
06:37時は2000年小淵慶三総理は国内を代表する知性を集め21世紀を貫く日本の基本指針をまとめました。
06:56外交安全保障部門の座長を務めた岩木部さんとともに、指針を取りまとめた和田純さんです。
07:09当時、指針をまとめる際に作成された大量の資料がすべて保管されていました。
07:23今回初めて明らかになった1年に及ぶ議論の記録。
07:38これ悠久部先生が考えられた最初にラフなレジュメがあってここなんかアジアの何ですか友人としてみたいの書かれてますがここに何盛り込むべきかって議論になるわけですね。
08:01いおき別産直筆の原案も残されていました自由貿易とアジア太平洋の平和が日本の死活の利益だと定義そのため日本の安全保障にとってまず不可欠としたのが日米同盟。
08:28並んで重視したのはアジア諸国との友好的な関係でした日本は隣国との関係構築をもっと主体的に推し進めるべきだと打ち出したのです。
08:47アジア太平洋の中でもとりわけ日本主演国との関係は十分でこれは大いに改善しなきゃいけないといったところでですね真ん中は空っぽだって言ってるわけですね。
09:03アジア太平洋のど真ん中っていうと日本中国韓国の地域ですからそれが空っぽのままのくせしてアジア太平洋なんて言えるかっていう。
09:13そこがやっぱりお互いに言いたいことが言える普通の関係にせなかったらダメだっていうことにずっとフォーカスしていくわけですね。
09:23それがあれですねここの東北アジアの新たな国際関係隣交ですね。
09:35イオキベさんらが唱えたのが隣交という外交姿勢でした。
09:42政府間の公式な外交に加え、民間の経済的文化的交流も含めて二重三重の関係を主体的に築いていく。
09:57この隣交をアジア太平洋の安定につなげる21世紀の日本外交の指針にしようとしていたのです。
10:08ここが自宅の書斎になります。
10:25イオキベさんは亡くなるまでこの書斎で試作を続けていました。
10:40同じ政治外交史の研究者である長男の薫さんが遺品の資料を整理しています。
10:51イオキベさんが政権のトップと本格的な対話を始めたのは小渕総理の時代からでした。
11:02韓国や中国で植民地時代や戦争の記憶が色濃く残っていた当時。
11:09一般の人々の交流は今よりも限られていました。
11:14尾渕総理は国交正常開口交流の進んでいなかった韓国との関係をまず構築し、それを中国との外交につなげようとしていました。
11:37父は結局生前パソコンがほとんど使いこなせなくて、メールもほとんどやらなかったんですが、なのでファックスによる意思疎通が重要で。
11:48これは1999年の3月の尾渕法官の際のアドバイスですね。
11:58尾渕総理が韓国を訪問する際、コリュ大学で予定されていた講演についてのアドバイスが残されていました。
12:09キム・デジュン大統領との首脳会談だけでなく、一般の人たちにも直接語りかけたいと、大学での講演を希望していたのです。
12:24デモや反発も予想される中、どのように語りかけるかを助言していました。
12:39実際にどのような講演が行われたのか当時の映像が見つかりました。
13:08ユーモアも交えながら語る尾渕総理。
13:36日韓が共に協力し経済文化の面でも二重三重の関係をつくっていこうと訴えました。
13:49そして反発する人たちにも日本に来てほしいと直接呼びかけたのです。
13:59ここにおる方ばかりじゃなくて、新聞によりますと外で講義をしている人もおると聞いておりますが、そういう人もみんな良き隣人としてお迎えもいたしたいと思います。
14:14日中関係、日韓関係でも難しいところがあって、それに対処していくためには、やっぱり高い品位と柔軟に解きほぐされた思考が必要で、どういうふうに相手に対してもそういうふうに思考や気持ちを持ってもらえるかといつも考えているので、こういう言い方ならそういうふうになるかもしれないっていうのを、たぶん具体的に対してもそういうふうに思考や気持ちを持ってもらえるかと。
14:41アジアとの協調関係を主体的に構築しようとした21世紀の日本一貫して課題となってきたのが歴史認識を巡る問題でした
15:07そして小泉純一郎さんです。
15:10中でも大きな波紋を呼んだのは、小泉純一郎氏の靖国神社への参拝でした。
15:16総理大臣に就任したら、8月15日に戦没慰霊祭が行われるその日にいかなる批判があろうとも必ず参拝します。
15:31この問題への対処を迫られた、時の官房長官福田康雄氏。
15:46当時福田氏は信頼を寄せる学者や有識者を集めて、私的な懇談会を開き、小泉政権の国家戦略について意見を求めていました。
16:01そこには小渕総理のもとで21世紀の指針をまとめたイオキベさんも加わりました。
16:16何回目かはよく覚えていませんが、最初の頃だったと思います。
16:23そこで、8月15日に靖国を参拝することを小泉総理が公言しちゃったわけです。
16:33そこで議論がいろいろ出まして、とんでもないことをすべきじゃないとか、
16:39それから、いや、断固ね、そういうことは総理が言ったんだからやるべきだというね、両派がありましてね、ものすごい論争になりました。
16:52どんな議論が行われたのか。
16:55この時の会合を録音したテープが残されていました。
17:03会合が行われたのは、永田町にほど近い寮邸。
17:09参拝の予定日は、およそ2週間後に迫っていました。
17:16この年、歴史教科書の記述をめぐって、
17:22関係改善が進みかけていた韓国や中国で反発が広がっていました。
17:28会合の中で、ある学者は、
17:35総理の方針は、外国に言われて変えるべきものではないと主張していました。
17:47這個技術šeANS
17:53それからとにかく行っていただいてくださって良品がいいと思います。
17:57これでもし行かなかったら、永遠に日本の歴史解釈が、中国に大考えを立てて、中国の解釈権に従わない限り、歴史認識は…
18:09I think it's important that we're going to have the power of the government.
18:14I think it's important that we're going to have the power of the government.
18:22I think it's simply the president of the NACO.
18:25No, no, no, no, no.
18:28One of the people, he's a very serious opinion.
18:35He said to me,
18:37I was like,
18:39I'm a man,
18:42I'm a man,
18:46I'm a man,
18:48I'm a man,
18:50I'm a man,
18:51I'm a man,
18:52I'm a man,
18:54政府と同じでないということをはっきりさせるべきで。
19:01もし参拝するなら、世論の矢表に立ちながら日本との関係改善に努めてきた韓国のリーダーに真偽を尽くすべきだと主張していました。
19:14日韓関係の格別の尽力をされて、そしてそのことで国内で火花を浴びて、日本との関係イニシアティブを取ったが故に苦労しているわけですから。
19:29タイ国っていうのはそういうのに対して、自分の国への友好故に苦労している人たちに対するそれを評価する概要がないといけない。
19:37日本は地域の安定に貢献するという画量、つまり大国としての大きな度量を持つべきだと訴えたのです。
20:02もしそれを実行すればね、実行すれば向こうは受け入れないんですよね。
20:12受け入れない。
20:15だけど、どうでしょうか。金手順政権は小泉を受け入れる勇気ないかな。
20:20南北も向けいかない。日が丸。
20:26同様に日本の方もですね、言うことをずっと聞かないという状況の中でね、とても歓迎できないし、来られても逆に言えば困ると置いておくんですから。
20:40かもしれませんが、来たしギャルに値すると思いますが。
20:46まあ頭に来た人の騒ぎが大きく聞こえますけれどもね。
20:50非常に困ったと、冷静になってる人も増えてきてるから。
20:57大国としての振る舞いとは何なのか小泉総理は参拝を2日早めその同じ日に異例ともいえる談話を発表しました。
21:20私は二度と我が国が戦争への道を歩むことがあってはならないと考えています。
21:30私は状況が許せばできるだけ早い機会に中国や韓国のヨーロの方々とひざを交えてアジア太平洋の未来の平和と発展についての意見を交換するとともに先に述べたような私の信念についてもお話ししたいと考えています。
21:5721世紀を迎えた日本が取り組んだ主体的な外交の模索。
22:04それは今の時代にも重要な示唆を与えているといいます。
22:11やっぱりあのこの時代に想定していたテーマっていうのは解決されてないんですよまた何も。
22:21だけど少なくともこういう方向で考えるべきだって言って出したものは間違っているとあまり今も思いません。
22:28そこにやっぱり問題の確信があるっていうのは今でも強く思いますから。
22:33日本専門家のソフトピースの戦画。
22:5270年代から日米関係の歴史に関する研究を世に問うてきたよきべさん。
23:01安全保障上の現実を踏まえた日米同盟を基軸とする外交を主張してきました。
23:082001年からのアメリカなどによる対テロ戦争では自衛隊によるアメリカなどの艦艇への給油活動を評価。
23:27自衛隊の海外派遣は平和主義に反するとの批判も出る中、
23:33国際秩序の維持に日本としても積極的に役割を果たすべきだというのが一貫した主張でした。
23:46平和主義がいけないのではない。
23:50平和主義の念仏さえ唱えれば、それを成就できるかのような空想性への批判である。
24:01平和を得るには、リアリズムに立って手立てが必要である。
24:08戦時中から敗戦までの実証的な歴史研究をもとに、
24:17日本の外交について提言を続けたヨキベさん。
24:23重視したのは、国際社会の現実を見つめるリアリズムでした。
24:30先の大戦から80年世界が再び混乱期に入る中日本の進路はどうあるべきなのか
24:44イオキブさんは特に日米関係をうちに。
24:48時代の転換期こそ、混乱にいたずらに振り回されるのではなく、国家としての大きなビジョンが必要だと訴えてきました。
25:03現実を見ない理想論というものがしばしば語られ批判もされたし、
25:13しかし、理想のない現実論ほどつまらないものもないんですね。
25:19その理想主義と現実主義を二者卓一という風な観点でやるのは非常に未熟な段階だと思うんですね。
25:27特に時代の転換期というのは、ある種の理想がなければビジョンなんか出ようもない。
25:34単なる算術的投影展望のようなものでは、人々があそこへ行こうという気がいもわからないですよね。
25:46そういう意味で両者が結び合うという成熟をそろそろ日本社会が見いだせればいいなと思うんですが。
25:55第2次大戦後世界が築いてきた国際秩序が大きく揺らぐ現代。日本は日米同盟を基軸としながらもう一つの大国中国と向き合っています。
26:19中国は今、軍事力を急激に増強し、海洋での活動を拡大させて圧力を生んでいます。
26:34それでも日本と中国の関係の土台になってきた一つの重要な合意がありますその合意に至る過程にも日本外交の進路を探るうえでの大きな示唆がありました。
26:56日中両国は2008年の日中共同声明において戦略的語形関係の包括的推進これで一致をしています。で、これはこの共同声明発出以来現在に至るまで一貫して維持されているというのが基本的な考え方です。
27:20戦略的語形関係。
27:26今も日中間の外交で確認されるこの合意はどのように生まれたのか。
27:32そこに至るまでに日中の民間レベルでの長い対話があったことが今回政府関係者への取材から分かりました。
27:47イオキベさんも参加したその対話の内実を伺わせる音声が見つかりました。
27:54大学から全部まとめて持って帰ってきたんです。
28:01日中関係について語った音声の記録。
28:3821世紀委員会。
28:45日中両政府の委託を受けた民間の有識者が今後の日中関係について議論しそれぞれの政府に提言することが求められていました。
29:15小泉総理が靖国神社に参拝し、中国で反日デモが起きる中、かつてなく冷え込む日中関係を結ぶ対話のチャンネルでした。
29:30小泉総理は国神社に参加したいという考えです。
29:37小泉総理は国神社に参加したいという考えです。
29:44日本の歴史認識について批判を繰り返す中国側。
29:51そのたびに対話は暗礁に乗り上げました。
30:00岩木部さんは不幸な歴史だけでなく戦後の平和国家としての歩みにも目を向けるべきだと繰り返し主張。
30:15相手の意見を聞き、自らの考えも明らかにして、本音の議論を交わそうとしたといいます。
30:242005年の反日暴動までは、どんな議論をしていても歴史へ行くんですね。
30:31実は私自身が戦争については非常に深い批判を持っていて、
30:39中国人に指摘されるまでもなく、あの戦争はNOなんですが、
30:45日本にいいことないのかと。
30:48戦後日本は平和的発展を遂げ、
30:51そして、東昇平さんが改革をやった時に、
30:56真っ先にそれを支持し、そして協力してきたじゃないかと。
31:01天安門の制裁解除も動いたじゃないかと。
31:04ダフリューティーを加盟にも協力したじゃないかと。
31:08そういういいことがたくさんあるのに、なぜそれを言わないんだというふうなことを
31:12向こうが歴史を言い出したら、必ずこう言い返すことにして。
31:21隣行という指針の作成にも関わった国分寮生さんは、
31:26この時の中国との対話にも参加しました。
31:31こういう指針ですよね、これ。
31:355年にわたり、本音の議論を積み重ねたことで、
31:39信頼関係が生まれ、
31:41それが、後の戦略的語形関係の合意に役立ったと考えています。
31:47あんな5年間があったのかと思うぐらい、
31:53言いたい放題、お互いに言わせていただいたという感じですよね。
31:59つまり、中国の政治体制そのものがちゃんと改革やってないとかですね、
32:03やっぱり自由に発言できてないことが一番中国の問題なんだとかね。
32:08政治の世界や官僚の世界ではなかなかできないような議論が、
32:13通訳している人たちも興奮しちゃって涙流している人もいましたけどね。
32:18相手のことを理解して批判しないと、
32:23一方的な批判だけだったら相手は取りませんよね。
32:27まあ、あなた方はこうなんだよねって、それは分かるんだけれども、
32:30しかし、それをね、もう少し客観的な目で見ると、
32:34こういうことなんですよっていう形で夕暮先生はいつも語るから、
32:39そこがやっぱり信頼を集めた一つの理由じゃないですかね。
32:48中国では、以前反日デモが全土で起きるなど、
32:52日中関係は揺れ続けていました。
32:56その中で、民間の対話がつないできた日中のチャンネルが、
33:06公的な関係構築につながっていきました。
33:11日中関係を高度の次元に高め、
33:17全世界の課題の解決に取り組む、
33:22戦略的語形関係を築いていくことで一致をいたしました。
33:292006年10月5年ぶりに中国で開かれた日中首脳会談で打ち出された戦略的語形関係。
33:41それは互いに共通の利益を拡大させ、日中の関係を発展させていこうという合意でした。
33:54未来志向に舵を切ったこの合意。
34:03今回、ある政府関係者は、21世紀委員会での議論が大きな役割を果たしたと明かしました。
34:16戦略という言葉は中国はずいぶん使ってましたから、好きで使ってましたからね。
34:21もうお互いに使うようになってたと思いますけどね、最初からね。
34:24それはつまり前向きに、つまり後ろ向きじゃなくて、
34:29ウィンウィンにしたいとかね。
34:31それはもう最初の議論からずっと。
34:33ウィンウィンというのは、結局中国語は別の言葉がある。
34:37シュアインという言葉があるんですけど、
34:39これは日本語に直すと語形だということで語形になったんですけど。
34:44ですね。
34:47さらに、この時の首脳会談では、
34:51日本側が平和国家としてのこれまでの歩みをこれからも続けていくと発言したのに対し、
34:59中国側は積極的に評価すると発言。
35:07元外務省高官は、このやりとりが公式に交わされたことで、
35:14日中関係を次の段階に進めることができたといいます。
35:19私は嬉しかったんですが、
35:26古今東の口から、戦後日本の平和的発展を積極的に評価するという、
35:31公的発言が出たんですね。
35:34これは秋葉さんなんかが、我々の議事録というのを土台にして、
35:39首脳会談のあるべき姿というような話をしている。
35:45日本側が歴史の問題について申し訳ないという姿勢をとり、
35:52中国側が現在の日本の積極的な面、いい面を全うに評価する。
35:58この2つが土台になれば、日中はやっていけると思っていましたので、
36:03やっとその局面に入った。
36:06民間の対話を公的な外交の成果につなげた日本。
36:16当時、日中は両国の利害が今も対立する困難な課題にも取り組もうとしていました。
36:27それは2008年5月の日中首脳会談でのことでした。
36:38夕食会には、外交政策を福田総理に助言する立場だった
36:44イオキベさんも招かれました。
36:55東シナ海問題、もう一つ。
36:57今回有益な協議が積み重ねられまして、そして大きな進展を確認いたしました。
37:03この時合意されたのは東シナ海を平和協力友好の海とすることでした。
37:19この頃、中国は排他的経済水域の境界が定まっていない中で、ガス電の上に矢倉を一方的に建設。
37:31日本は抗議していました。
37:3421世紀委員会で私たち、東シナ海を平和の海にしましょうと。
37:43我々も過去において不幸なことがあったけれども、その歴史を超えることを早くしないとダメだと。
37:51熱弁を何度か振るったんですが、中国が誰一人賛成しないんですね。
37:55これは資源という重要問題であります。
37:58主権に関わる、非常に敏感な問題であるからね。
38:03それは簡単ではないと言ってたしなめられている。
38:06しかし福田さんが古今東恩川に提案したら、同意されたんですね。
38:12大変なことで、日本外交の資産だった。
38:16当時、総理として首脳会談を進めた福田康夫氏。
38:27今の世界において、あくまで共存共栄の道を模索することが重要だといいます。
38:38良い関係を作ろうと思えば、相手の国も日本と一緒に、日本自身になって良くならなければいけないけど、一緒に良くなるということを目指す。
38:48そういう国家であってほしいというふうに思うわけですね。
38:51また同時に、良い国家になってほしい、そのためのお手伝いもできれば、やることがあればしてあげたいと。
39:00やっぱりね、相手から見てもですね、日本の存在意義というものを見てもらえる、そういう存在意義を認めてもらえるような、そういうことを目指していかなければいけないというふうに思うんですね。
39:17強国を目指す習近平国家主席の下、覇権主義的な傾向を強める中国。
39:34日中の圧力が再び深まる中、日本と中国は、戦略的互経関係を首脳会談の場で確認し、その合意は、両国が立ち戻る枠組みとしての役割を果たしています。
39:53戦略的互経関係の包括的な推進と、建設的かつ安定的な関係を構築する。
40:02裁判年まで日中関係を危惧していた一昨年の中国訪問の時かつての教え子の井上雅也さんも同行していました。
40:23福田元総理と共に政権中枢との本音の対話を望んでいたといいます。
40:33習近平だろうとかそういうのを目指していたんじゃないですかね。
40:40だからその辺が、ある種のもう一つの目的であったんじゃないかなと思うんですけどね。
40:47陽気部先生がご挨拶されるときなんかでは、わりと中国に対しては厳しいことはおっしゃっていたと思うんですよね。
40:54日本国内だとね、どちらかといえば強硬派に対してそれをなだめる感じの主張はするんだけれども、
41:01中国に言うと今度はやっぱり中国に対しては結構厳しいことをあえて言うっていうのはやってたんじゃないですかね。
41:13誰かがつなげないといけないんですよね。
41:15それは外から見たらね、親中派とかなんとか言われるわけですよ。
41:19それは違いますよね。
41:21そうじゃないですよ。
41:23やっぱりきちんと話ができるかどうか、具体的には話が進んでない。
41:28で、アメリカの動きばっかり見てると。
41:31アメリカと中国がどうなるのっていうところばっかり見ててもですね、やっぱり我々はどうするのかっていう輪行ですよね。
41:40そこに戻して考えていくことも必要ないんじゃないでしょうかね。
41:45対立を深めるアメリカと中国の狭間で、これからの進路を模索する日本。
41:54イオキベさんの遺品の中から、ある記録が見つかりました。
42:03沖縄の本土復帰50周年の際の岸田文雄総理との会見のメモ。
42:13今こそ、改めて沖縄に向き合うべきだと訴えていました。
42:22残された問題は、沖縄の人々は過去の歴史に苦しんだのみならず、
42:34今後も地政的状況を考えれば、
42:39安保面での大きな協力と負担が続かざるを得ないことです。
42:45であれば、国防の危機が迫る中、沖縄への温かい言葉に加えて、
42:54お役に立つ心を一つに寄り添うことを。
43:00沖縄は基地を提供するだけでない多文化共生時代のかぐわしい文化交流拠点なのだと、わして言いたいものです。
43:19亡くなる4ヶ月前、岩木部さんは沖縄に足を運んでいました。
43:30沖縄に、アジアとの交流を図る平和と文化の拠点をつくる運動を支援していました。
43:41国際情勢の現実の中で、沖縄の基地を減らすことは難しいと考え、
43:48だからこそ、日本全体で支援に取り組むべきだと訴えていました。
43:56日本の首相は沖縄県知事に対して、沖縄の苦しさはわかるよと肩を抱いて、
44:03一緒にこれから基地を減らせないかもしれない、この国際間が。
44:10でも、平和拠点として、国際交流拠点としての発展というのを応援するよというふうに言うべきではないか。
44:19沖縄県の知事公室長を務めた高山長江さん沖縄が周辺国との対立を乗り越えるための交流の場になればと強く語っていたといいます。
44:40沖縄県知事公室長
44:45これは、岳本先生もそこでお話しあったんですけれども、
44:49中国と戦争するだったかね、それまた戦争するだけのことの対抗できるかというと、
44:57やっぱり武力と武力の対立というものじゃなくて、そこを和らげていく。
45:03やっぱり非常に大事なことは政府の外交だと思うんですよね。
45:08我々が目指すのはあくまでも武力に頼らない隣国ですから、
45:14そういうことでお互いに理解し合う、それを武力を阻止するようなところに何とか持っていけないか。
45:22アジアに最も近い日本の中の県としてやっぱりお互いの交流を深めていくということでの平和構築をしていく。
45:36城内はい!
45:40黙祷。
45:44黙祷。
45:46黙祷。
45:49凰切辺さんは去年3月、混乱する世界の先行きを憂う中で、亡くなりました。
45:58日本はこの荒海をどう進んでいけばいいのか。
46:26国内的にはいささか偏狂な意見がお手早され、国際的には国際協調路線が危ういところに来ています。こういうときに岩木部さんを失ったら本当に痛いと思います。
46:51岩木部さんは防衛大学校の学校長を2006年から5年余り務めました。
47:00学生と接する岩木部さんの普段の姿が伺える映像が残されていました。
47:09厳しい諸君の毎日ですが、しかしエリートであるためには厳しくガツガツというだけではいけないんですね。
47:26やはり自由があり、ゆとりがなきゃいけない。
47:31今日はゆっくりと楽しみましょう。
47:35次世代に求め続けた高い品位と自由活発な議論をもとにした国際秩序への貢献。
47:44荒海のパトー海のような冷戦後の世界の中をね、日本がどういうふうに進んでいけばいいのか。
47:55世界の不安定に対してね、軍事力を持って暴れるんじゃなくて、それを戦闘以外の目的で持って社会の不安定を支えて平和構築をするとか、
48:08国づくりをできるようにサポートしてあげるとか、そういう役割も非常に広がってきているわけですね。
48:15広い視野の中で、我が愛する日本をも客観化する、相対化して、世界全体の中で、この国の位置とかあるべき姿というのを考えている。
48:33秩序なき世界の中で進路を見出していかなければならない、日本への遺言。
48:44この国に生きる私たちに託された大きなみかんのバトンです。
49:01第2週はあなたの細胞たちが背負った命の輝きと宿命の物語。
49:13ミセスグリーンアップル10イヤーズスペシャル豪華スタジオパフォーマンスをお届け5月5日夜10時。
49:28全身芸術家横尾忠則88歳画家人生の最後と位置づけた絵画制作に2年にわたり密着した。
49:43肉体が一体化した瞬間。
49:47本日の司会はオードリー若林第2弾。今回の舞台はふるさと納税に苦しむ自治体。
49:55あら?え?
49:56堀ちゃん。
49:57あっ。
49:586日夜9時30分。

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