Category
📺
TVTranscript
00:00タイガドラマベラボーの舞台として注目を浴びる吉原
00:06スタや十三郎が活躍するおよそ70年前の元禄時代
00:14ここで世間をあっと驚かせた男がいた
00:18男の名は木の国や文在門通称気分
00:26吉原を一晩借り切って合流するなど
00:32町人たちが大きな力をつけてきた時代を代表する豪商だ
00:37大名が怖いものかと文在門
00:44だが
00:49気分にまつわる逸話の多くは確かな証拠のない伝説ばかり
00:57今回はそんな気分を大追跡
01:04確かな史実を探り本当の姿に迫る
01:12スタジオでは金星史と経済の専門家が気分から見えてくる時代の姿を語り尽くす
01:21ただお金を無駄に使うってコンテンツを江戸のこの時期にやってた
01:28聖書ゆえの上りの凄さとやっぱりくざりの怖さ
01:32江戸の社会の中で由緒来歴なくてもこういうことができるぞっていう夢を見せて
01:39元禄の世に名をそどろかせ一台で消え去った豪商
01:47伝説の裏に隠された真実とは
02:20皆さんこんばんは。
02:50謎の人物ですね僕は小さい頃は近所の人の話にも出るほどの有名人で有名なんだけどどういう人だか分かってないとあんまりいい人じゃないと利益に走る人はいけないみたいなそういう言い方の話で最後は終わるんですよ。
03:50気分にまつわる最も有名な伝説といえば、みかん船の話だろう。
03:58奇襲生まれの青年文座右衛門。江戸でみかんが高ねと聞くや、借金して買ったみかんを船に積み、嵐の海を命がけで渡り切る。
04:16江戸でみかんを売りさばき、大金を得て豪商になりやがった。
04:23この話は果たして本当なのか伝説の舞台、和歌山県の有田を訪ねた。
04:32海へ乗り出す文座右衛門の銅像や、
04:39郷土の英雄の冒険をたたえる石碑も建てられている。
04:45しかし地元で40年にわたり貴之国家文在門を研究してきた川岸光司さんにお話を伺うと伝説については歯切れが悪い。
05:06キノクニア軍団が向こうでいわゆる大量のお金を獲得することができたっていうのはこれがまあ皆さんの多くの人々が語るキノクニアとみかんなんですねここからはみかんを運んでいったっていうそういう説は圧倒的に強いよども資料が不確かなんでね。
05:30みかん船の話には確かな証拠がないというのだ。
05:35ではこの伝説は一体どこから生まれたのか。
05:41研究者によれば、みかん船の話が最初に登場するのは幕末に書かれた絵蔵師、黄金水大神杯。
05:53気分が活躍した元禄記から150年以上後に書かれたものでフィクションである可能性が高いと言われる。
06:08ではそれ以前の資料にはどう書かれているのか。
06:14元禄からおよそ50年後に表された随筆江戸正子六十条には。
06:21気分は八丁堀で材木商を営んだと記されている。
06:29気分は八丁堀で材木商を営んだと記されている。
06:36気分は船乗りやみかん売りではなく材木商だったというのだ。
06:44しかしこれも気分の没後に書かれたもの。
06:49果たして本当なのか。
06:51今から70年前、静岡県の旧家で気分が生きていた時代の文書が見つかった。
07:06元禄14年に東東美の国の商屋たちが奉行へ提出した国境争いの訴状だ。
07:27ここに気分の仕事が記されている。
07:34以前ここから御用木を切った者がいるのでそこを国境にしてほしいという内容。
07:43木を切り出したのは木の国や文在門。
07:52気分が材木商だったことを示す確かな証拠だ。
08:01だが疑問は残る。
08:04材木商は豪商になれるほど儲かる商売だったのだろうか。
08:10実はその通りだった。
08:14当時江戸では大火が頻発。
08:22江戸の町の大半が消失した明暦の大火をはじめ、八百八百七の火事、直岳火事など大規模な火災が頻繁に発生していた。
08:37かやぶきや板ぶきの木造建築はほとんどの時代、大火が起こるたび、復興のための材木が大量に求められた。
08:50材木商は需要が絶えない商売だった。
08:57例えば、気分の三十年ほど前に活躍した材木商川村隋賢は、
09:06明暦の大火の際、材木需要の沸騰を見込んで、
09:11いち早く産地の木造へ駆けつけ、大量の材木を買い付ける。
09:16これを売り払って大儲け、一躍豪商の座に上り詰めた。
09:22気分は河村隋賢の後を追うように江戸八丁堀で材木屋を開業。
09:33木の国屋を名乗ったと考えられる。
09:40だが、近世の商人の実態に詳しい牧原重幸さんによれば、
09:46材木ビジネスを営むには、いくつかの課題をクリアする必要があったという。
09:55江戸の場合は、例えば材木を実際に鍵集めてきた場合は、
10:00それをどこに蓄えて、どこに保管しておくかという問題もありますね。
10:04だから、貸しと言われる水路というか、堀や川の近くに、
10:09そういう場所が確保できているかというようなこともありますし、
10:14そもそもどこで材木を仕入れてくるのかと。
10:17山形と言いますけれども、
10:19そういう山村からどういうふうに材木を切り出してくるかという、
10:23そういう問題が結構大きいですよね。
10:28第一の課題。
10:30材木の保管場所は、
10:32木の国屋がある八丁堀の東3キロほどに、
10:37深川、牙があった。
10:39これでクリア。
10:42もう一つの課題。
10:47木分はどこから木を切り出したのだろうか。
10:51それを示すのが、
10:59木分と同じ時代に生きた駿府。
11:02現在の静岡市の材木商、松木新左衛門の伝記だ。
11:11木の国屋文左衛門と松木新左衛門が、
11:14駿河の国の千鶴山から材木を切り出した。
11:24千鶴山は、静岡県北部に位置し、
11:27南アルプスに連なる標高2000メートルほどの山。
11:36現地を訪ねようとしたが、
11:39現在は山道が整備されていないため、
11:42入山が制限されていた。
11:46そこで、千鶴山のある川根本町から提供いただいた映像で、
11:52その様子を見てみよう。
11:56上空から見ると、千鶴山がいかに山深い位置であるかが分かる。
12:04木分はここから材木を切り出したというのだ。
12:11松木新左衛門の記録には、千鶴山は文左衛門山の俗称で呼ばれたとも記されている。
12:25また、大井川に面した島田塾の記録には、
12:29木材を運ぶ山道が非常に険しく、
12:33木分は特別に船の使用が許されたとある。
12:37木分は大井川の流れを利用し、大量の材木を下流へと輸送。
12:43海路によって江戸まで運んだと考えられる。
12:53この他にも、木分の行動を伝える文書が残っていた。
13:01木分が知り合いの漆塗り職人に送った手紙。
13:10来月、日田に行く予定あり。
13:15日田もまた日本有数の木材の生産地。
13:24おそらく木分は材木調達のため、日田を訪ねたのではないかと言われる。
13:31木分は美漢船で成り上がった豪商ではなく、
13:40全国を駆け回る信仰の材木商だった。
13:49そんな木分を、元禄という時代がさらに後押しした。
13:54時の威勢者、五代将軍徳川綱吉は、
14:01幕府の権威を示すような大規模な土木事業を盛んに行った。
14:10例えば、綱吉が母、継承院のために建てた五穀寺。
14:18幕府直轄の学問所となった由島聖堂。
14:23その他にも、江戸では幕府による建築・集築工事が立て続けに行われた。
14:381680年代と90年代の10年間ぐらいをね、
14:44だいたい比べている資料があるんですけれども、
14:47その間に作事の支出が数倍、
14:50部署によっては5、6倍に幕府の中で増えたという。
14:56これはかなりすごい。
14:57その頃からどうも積極的に入れ札ということを行うようになった。
15:02そこでかなり参入しようというか、
15:09材木賞がですね、出てきたということは私からと思いますね。
15:14材木バブルには食えど、そこに新たな巨大事業が動き出す。
15:20徳川家の菩提寺、上野寛永寺、根本中道の建立だ。
15:35ここ屈指の巨大木造建築だった。
15:39ここで材木の調達を受け負ったのが、
15:44日の国や文在門。
15:47将軍家の威信を示す幕府のビッグプロジェクトで受注を勝ち取ったのだ。
15:53この時の儲けは想像を絶するものだった。
16:02気分と一緒に木を切り出した駿府の材木賞、松木新左衛門の記録には、
16:09儲けの金巣を江戸から駿府へ送る際、
16:147、8日かけて56だの馬で運んだ。
16:19一目見ようと毎日見物人の行列ができた。
16:25松木だけでもこの儲けぶり。
16:29一説には、気分は50万両の利益をあげたと伝えられる。
16:34しかも、この時得たのは金だけではなかった。
16:42根本中道混流の葬式を取ったのは老中閣柳沢義康。
16:47勘定奉行の荻原重秀も関わっていた。
16:52気分は幕府の巨大事業を受け負うことで、
16:56幕府中枢との強いコネクションまでも手に入れたのだ。
17:01元禄バブルの自流をつかみ、気分は瞬く間に豪商へとなり上がっていった。
17:16今回はお二人のゲストをお迎えしています。
17:22まずは金星子がご専門の大石学さんです。
17:27木の国や文在門の実像、何かみかん船伝説とはちょっと違ってましたね。
17:33そうですよねはい近代になる前の江戸社会っていうのは鉄鋼業以前に材木業が基幹産業だったんですねですからそこを抑えるってことはやっぱり巨大な利益を得るっていうそういうビッグチャンスだったということで彼は豪商にのし上がっていくということになったんでしょう。
17:51やっぱり一攫千金で今ビデオにあったように建物がガチッと作られるっていうことは山から木を用意してそして運んでっていうさまざまな理順が得るチャンスがありますのでやっぱり材木って言ってもただ切るだけ動かすだけっていうんじゃなくてずっと一連の作業をして最後は人を手配して不審土木をしますからねやっぱり大きなプロジェクトを作ることになっています。
18:21続いては経済学者の飯田康幸さんですよろしくお願いします飯田さんはこの時期の材木賞に対してはどういう印象を持ちですか?
18:31授業の面でも供給の面でも非常に不確実性が高いんですね。かなり大きいお金を動かさないと安定した経営にならないという意味でハイリスクハイリターンのビッグビジネスというイメージですよね。プラスですねそれをやるために借金をする力っていうのがそれだけの大きいビジネスを当時自己資本自分のお金でできるっていう人はまあいないと思いますので。
18:58大きく借金するっていうのもすごく重要な才能なんじゃないかと思いますねなるほどそれと気分の生まれたとされる奇襲は野後に使ってるってことは奇襲にゆかりがある可能性もありますから熊野灘越えなきゃいけないから造船航海の技術が優れた地域なので木を切るだけじゃなくて運ぶための船の手配っていうことから多分
19:28お正月過ぎに荒れた海をみかんに乗せて運んで成功する人が確かにいましたのでそういうのと結びついてみかん伝説が生まれたのではないかと今日の研究者は言い出して僕子供の頃は信じてたんですよこれそうなんですか?
19:58江戸の相場を見て即大量に手配して荒波を超えて陶器性が非常に高いですよね大もうけかもしれないけれども江戸に着いてみたらいやミカンたくさんありますよって言われたらおしまいのビジネスこれ材木のまんまだとこれ娯楽読み物ですから何かあんま楽しくないとミカンの方が分かりやすいだろう?
20:21気分の材木賞として最大の仕事といえるのが寛永寺梱包柱道の材木の調達だったわけですよね大石さんこれについてはいかがですか寛永寺上野の徳川家の菩提寺になるわけなんですけどね寛永寺自体が比叡山遠略寺を意識して東永山東の比叡の遠略という年号の代わりに寛永って作って琵琶湖の代わりに忍ばずの池を持ってきてって京都に見立てているんですよね
20:51その総仕上げとしてですねあの壮大な建築を行うということでやっぱり力が入ったということが言えますね
20:59そこで儲けた額が50万両って言われてますけれどもこれどのぐらいの価値だった大抵お米の価格とかあとは職人の給料なんかを基準に換算するんですけれどもこれだとおそらく50億から100億ということになるのでちょっとね当時のインパクトが伝わらないと思うそれでも伝わらないんですか?
21:22単純に言うと江戸時代江戸期は今よりはるかに貧しいですから日本全体が比べるとしたらむしろ私いつもGDPと比べたらどうかと思ってるんですね
21:33大体いろんな推計ありますけれども元禄期ですと天下総国高で3000から3500万石ぐらいで農業以外の産業とか米以外の産品もありますので大体GDPが5000万石ぐらいなんじゃないかとそうすると一国一領としますと50万両ってGDPの1%ですよね
21:58現代で言ったら6兆円っていうふうに考えるとちょっとその時の世の人の気分に対する驚きみたいなのを表すにはこのGDP換算すると6兆円ぐらいとんでもないことだなっていうイメージになるのかと思いますね。
22:19紀の国や文在門の伝説といえばもう一つ吉原での豪遊です。その伝説を追ってみました。
22:49年寮もの大金を投じて一晩借り切ったというのだ。
22:53元禄期というのは吉原にとっては非常に景気が良かった時期というふうに言われています。
23:03江戸時代前期はやはり武家、大名とか旗本とかそういうのがよく知られていて、ちょうどやっぱりこの元禄ごろに町人の金回りが良くなって、町人が主要な顧客になってきたというふうに言われています。
23:21大名が怖いものかと文在門
23:28吉原を舞台に気分は多くの伝説を残した。
23:40江戸後期に成立した逸話集、吉原雑話によると、
23:45巨大なまんじゅうを作らせ、店の戸口を壊して運び込み、
23:55宴会後に何人もの大工を使って、戸口を元通りに直した。
24:00誰よりも先にハツガツオを食べたいからと、江戸中のカツオをすべて買い占めた。
24:09最も有名なのは、このエピソードであろう。
24:20ある冬の日、吉原を訪れていたのは、気分の商売がたきである、材木商の奈良屋もざえもん。
24:28勇女たちと優雅に庭の雪見を楽しんでいた。
24:40すると気分は、その庭に小判、小粒巾300両ばかりをばらまいた。
24:47勇女や使用人が一斉に飛びつき、あっという間に雪は踏みしだかれる。
24:53奈良者ゆきみは台無しになった。
25:00ここまでは、あくまで伝説。
25:08だが、信頼できる資料とされる江戸正五六十条にも、
25:16気分は、悪書吉原での豪遊の名人だったと記されている。
25:23下品とも取れるほどの浪費ぶり。
25:32気分はなぜ、これほどまでに吉原で派手に金を使ってみせたのか。
25:42牧原さんは、権力者たちの目を意識しての行動だったと考えている。
25:48ポイントになったのは、多分、幕府や藩の御用の受け負いということだったと思いますね。
25:56事業を受け負ったり、何らかの便宜を図ってもらうとか、仕事をしやすくするために、ということではないかなと思いますけどね。
26:09派手に散財してみせることで、柳沢義康や、小木原重秀といった有力者たちに財力をアピール。
26:19自分と結べば、多額の見返りがあることを匂わせたとも考えられる。
26:28果たして、環状奉行、小木原重秀から、大きな仕事を依頼されることになる。
26:44それは、新たな貨幣の鋳造。
26:47一商人の身でありながら、幕府の財政と直結した巨大プロジェクトを任されたのだ。
27:02当時の老中の記録には、紀文が元禄16年に秩父へ銅山を見に行ったという記述がある。
27:10これは、貨幣を作る銅の調達に関係したものと推測される。
27:17財木業で得た巨額の金を、吉原でばらまくことで、紀文は次のビジネスチャンスをつかみ取っていった。
27:35紀の国や文在門の吉原の豪遊伝説、飯田さん、どうなりました?
27:40これね、実は時代をもう何百年も先取っているなと思ってしまうのは、今でもYouTubeで、無意味に金を使うとか、通りがかりの人にとんでもない大金をあげるって、結構人気のコンテンツなんですよね。
27:58何だか意味が分かんないんですよただお金を無駄に使うっていうコンテンツを江戸のこの時期にやってたっていうんですよねでもね人庶民みんな何かそういうのすごい無意味だと思いながら注目しちゃうんですよね。
28:17吉原というのは当時の日本の中の一番の盛り場ですねですから田舎の地域でも知らない人はないぐらい江戸の吉原っていえばそこでいろいろこうすごい遊びをしてあるいは散財をしてっていうことになれば日本中にこう話が伝わっていきますからこれ以上のPRはないですよね。
28:37私はこれだけ使えるよこれだけ資本があるよっていうことをアピールすればいろんなビジネスが来ますからねそれはもう文句なくこうなんていうか信用度を高める作業でもあったと思います。
28:49吉原は当時のメディアのようなところがあったのかなと例えば髪型の流行であったり化粧の流行歌の流行こういったものが吉原を発信基地にしている。
29:03そこでお金をまくとかもはっきり言って訳が分からないことであっても正直悪名は無名に勝るところがありますからそこで注目のあのキノクニア・ブンザエモンっていう存在になることは非常に大きな広告効果があったんじゃないかなと思いますね。
29:22老舗じゃなかっただけに新しく伸びていくにはああいうやり方がよかったのかもしれませんねあんなお金使うってありえない消費でこりゃ大喜びでしょみんなもうあっという間に全国に広がると例えばあんな山奥から木を切り出しに行く時だって支払い能力がすごいある人だからあの労働者を出しても大丈夫だというふうに地元の人たちがあの
29:52ああそうかと気分にいいことをしてやれば自分にも見返りがあるというふうに上は老中そば容認から下は奉行や大官の手先まで思うようになったんじゃないですかね。
30:05その気分に新たなビジネスが舞い込んでくるんですよね。
30:09江戸が急激に膨張して100万都市っていう都市になってそれで元禄から京方ぐらいにかけて安定化するんですけれどもその時にやっぱり貨幣需要っていうのがこう貨幣の需要っていうのは高まってでもう市場の方が欲しがるんですねお金をいっぱいを。
30:26教法の頃にオギウソライというですね女学者が書いた資料によると田舎の方まで今まで貨幣が行き渡ってない所まで元禄以降どんどん行き渡るようになった貨幣経済が発展していく様子っていうのが描かれてます。
30:40でもその幕府側じゃなくて商人が貨幣を作るって私的には珍しいなと思うんですけど今あったらね大蔵省造兵局とか役人が作るもんだと思うんだけど商人が作るんですよこれねはっきり言うと武士の世界ではお金が汚いものっていう認識なんですよだからお侍が作るような作業じゃないんですよそれで貨幣に関する実務は商人に丸が投げにしたり犯に
31:10生産させたりして人に任せちゃうわけですよ大石さんその商人の中でもこの話が気分に来たのってどうしてだったって言いますかそうですよねやっぱり気分のアピール力とそれから権力との接近度としか言えないですよね他の商人は多分受け負いきれないしそういう時はやっぱり代表は気分になってくるだろうと思いますね
31:35東京日本橋の貨幣博物館ここに気分が鋳造に関わったとされる貨幣が残されているこちら法営通報1枚で従来の官営通報10枚分として使えることから縦文銭と呼ばれた
32:03裏面には永久せようの文字 永遠に世に流通するという意味だ
32:17しかし評判は
32:22こちらはですね重さがその前の関営通報に比べて約3枚分程度しかないんですけれども10枚分としてあの発行されたものになります
32:44そのため非常に不評でして使い勝手も悪いというようなこともありまして約1年足らずで発行が終わるという形になりました
32:55気分はなぜこんな貨幣を作ったのか
33:02貨幣海中の背景にあったのは将軍綱吉の下での財政悪化
33:09旅重なる建設事業や将類憐れみの霊政策で幕府の財政は逼迫していた
33:21環状武業小木原重秀は貨幣に含まれる金銀銅の量を減らす懐中を行いその差益を幕府財政に充てていた
33:39その中で作られた法営通報だったがわずか1年で発行終了
33:45気分は幕府の財政再建をかけた大事業に関わったことでかえって大きな損失をこむったと考えられる
33:56さらに追い討ちをかける事態が起こる
34:04法営6年 30年近く将軍職にあった綱吉が亡くなり
34:13老いの家信が6代将軍に就任
34:16その家信の下 幕府を取り仕切ったのが新井白石だ
34:26白石が押し進めたのは所持禁止区
34:31特に役人と結んで利権を得る商人や賄賂で私服を肥やす役人を厳しく批判した
34:42財木を商人ども彼らと共に分かち取り手その家をとましぬる輩もまたその数あり
34:59法営7年4月 白石の起草によって新たな武家書ハットが出される
35:08ここには
35:09豪商たちが従来行ってきた賄賂の禁止が明確に盛り込まれた
35:18その2年後 白石の強い要求によって
35:27小木原は勘定武行を罷免され 翌年には世を去った
35:32幕府の建築事業は減少
35:40公館とのコネクションも消滅
35:43気分のビジネスは急速に道を閉ざされていった
35:49江戸の財木商たちは次々と見せじまい
35:57気分と肩を並べた有力財木商の奈良やモザエモンもまた
36:05第一線を退くことを決断する
36:09引退にあたり子供たちに残した遺言状には
36:15身を慎み奢ることのないように
36:23何があっても商売には手を出すな
36:27貸し家の収入で暮らせ
36:30映画を誇った大商人とは思えぬ言葉が残されていた
36:37一方 新たなビジネスが江戸で注目を集めていた
36:47それは 三井貴俊の越後屋が始めた
36:56棚先売り 現金掛け値なしの新商法である
37:02町人たちを相手に駆け売りではなく
37:06棚先現金取引 商札販売で人気を集めた
37:13幕府の交換とつながって商売をしていた気分にすれば
37:17全く未知のビジネスが世の主流となり始めていた
37:21元禄バブルの崩壊
37:27同業者たちの店じまい
37:29新たなビジネスの流勢
37:32気分はこの先どう生きるのか
37:35その心の内に分け入ってみよう
37:37江戸の街はすっかり不景気になってしまった
37:49これまで幕府のお偉方のつてで
37:57大いに儲けてきたが
37:59もはやこれまでか
38:01材木屋は次々店じまい
38:07吉原で競い合ったあの奈良者も
38:10隠居したとか
38:11近頃は町人相手の小口商売が流行りというが
38:18それでは多くの材木を一気に裁くような商売は成り立つまい
38:24潔く手を引くべきだろう
38:31いや謝ってはいけない
38:42落ち着いて考えてみれば
38:46江戸に材木屋がいらないということには
38:49ならぬはずだ
38:51江戸は今でも火事が多い
38:56大火が起きれば焼けた寺や屋敷を建て直すのに
39:01膨大な材木が必要になる
39:04材木屋のお客は決してなくならない
39:11必ずまた大桃家の機会が巡ってくる
39:15ここは焦らずじっと耐えるべきだ
39:22気分は選択を迫られていた
39:33飯田さん
39:41木の国や文在門は
39:42新貨幣の鋳造という
39:44大きなビジネスチャンスを得たわけですけれども
39:46これなぜ失敗にしてしまったんですか
39:49そうですね
39:50もともと金属の価値と額面の価値は
39:53あまり関係ないものなので
39:55別に重さが3倍しかないから価値がないとか
39:59そういうものじゃないのに
40:01なぜか庶民はいやいや
40:03重さがあんまりないから価値がない
40:05気がするっていう風になってしまった
40:08これが一つと
40:09もう一つは本当に偶発的なものですけれども
40:13この時期宝永の大噴火
40:15富士山の噴火がありましたので
40:17経済自体がこれまでの
40:20右肩上がりの状態というのから
40:22少し例えば商品の取れ高が悪いとか
40:26流通が滞るっていうような
40:29ちょっと違う経済状態にも
40:32当たってしまった
40:33これは不運の部分だと思いますね
40:35この貨幣の海中政策自体の
40:38その時代というか
40:40そのニーズっていうのはどうなんですか
40:42そうですね
40:42経済規模が拡大しているから
40:43貨幣自体はやっぱり社会が欲しがっていたので
40:46政策自体は悪くなかったと思うんですよね
40:48やっぱり政治の中の転換
40:51政治の変化ですね
40:52ですから綱吉の健康状態が悪くなって
40:56小木原信英がだんだん評判悪くなって
40:59貨幣の質が下がって
41:00物価が高騰してしまうっていう
41:02やがて荒い白石が出てきて
41:04禁縮政治
41:05要するに貨幣の質を高めて
41:07物価を安定させようとするっていう
41:09そこが見えてきた時に
41:10彼の貨幣政策っていうのは
41:11うまくいかなくなってしまう
41:12私のまるっきり想像なんですけれども
41:17新井白石と小木原信英だと
41:20目標にしているものが違うのかなと思います
41:24新井白石の場合は
41:27商業や農業以外の産業が
41:30発達すること自体が
41:32良くないことであるっていう前提がある
41:35むしろ武士の支配を強化するには
41:38武家とそこに直属した農民
41:42この組み合わせだけで成り立つ国っていうのが
41:45正しい良い国だと
41:47一方で重秀はあんまそういう感覚がなくて
41:51景気が良くなったら
41:52それはそれで良いことなんじゃないか
41:54この考え方どちらが正しい
41:56現代の目から見ると
41:58それは重秀が正しいんじゃないか
42:00みたいな雰囲気になりますけれどもいやいやと武士の社会を永続させるっていう視点から見たらもしかしたら白石の方が武士にとっては正しい政策だったかもしれないと
42:30新井白石が荻原秀秀を弾劾した書状なんですよところがあまりに長いんで巻いても巻いてもえ何か恐ろしい気持ちになってくる武士の世界の経済に関する嫌いっぷりっていうのが時々ちょっと極端な人っていうのがいて重秀はもうそのキャリアの初期から年貢の徴収
42:54佐渡金山の再生貨幣懐中純粋経済畑みたいな官僚なだけに何かその本当に武士というか万方武士みたいな人にとってはもうとんでもないひどいろくでもないやつだったのかなっていう。
43:12世間でその悪戦評判が悪い懐中に関わったっていうことがその気分にどういう影響を与えたっていうのがブランドからそういえばマイナスになりますよね趣味のね川柳なんか見てもただもてはやすばっかりじゃなくて例えばねあのえっと文在門手前一人が面白いってちょっとちょっと距離置かれちゃうんですよねへえ
43:34政省として動いてきていた部分っていうのはやっぱり政治がこうぐらつくとそれやっぱり連動するわけですよねでその時にある意味こう背負わされたっていう気をしないでもないんですけどねあの権力の方にこう押しつけられて責任をですね切って捨てられた側面もあるかなっていうそこら辺はあの政省ゆえのこう上りのすごさとやっぱり下りの怖さっていうのを体現しているかなというふうに思いますね。
44:02それでは選択に参りましょうキノ国や文在門は選択を迫られました選択1は材木賞を廃業する選択2は材木賞を続ける皆さんがキノ国や文在門の立場ならどちらを選択するでしょうか飯田さんどちらを選択されますかでは私は選択の2で材木賞を続けるという方にいきたいと思いますやはり戦後を見てみてもさまざまな
44:32今に続いている大企業の創業社長って突然ビジネスのやり方を変えるしっかりと自分がこれまで得意にしてきたものと異なる例えば産業用の機械から民間用の機械にとか
45:02物に生まれ変わるときっとこれ後世まで残るビジネスになるんじゃないかなと思うんですよ。
45:10あの私は選択一ですねあの材木賞を廃業するということですはい清少として彼が一代で巨額の富を作り上げてきたそれは逆に言うとその先見た時にもう五大将軍綱吉の政権というのは続かない子どももいないで六代の家信というのがこうここからこう入ってくるそこにはもう荒い白石がついててブレーンとしてついてくる拡大経済が縮小経済へ転化されていますね
45:40そう考える時と今までの自分のやり方という方法というある権力の権力者とつながってそこで利益をやり取りするそういうやり方というのは多分無理だろうと考えた時に今の材木賞としてのありようというのは難しいと考えると思いますね。
46:02僕は選択1ライン目標を廃業するそれでなぜかえっとまず地震放映の大地震来ちゃってそのあとに富士山噴火したから幕府の領地が多い関東一帯に灰降っちゃって酸性になってそれでもうしばらく幕府の財政が盛り上がるって難しい。
47:02もう一つ重要な要素があってね17世紀の後半っていうのはまだ江戸が大都市になって100万の人口を目指して伸びてる時期なんですよ。だけど1700年来ちゃったらもうもう横ばいになってくるんですよ。
47:32さあ果たして木の国や文在門はどちらを選択したのでしょうか。
47:41ヨシワラの逸話をまとめたヨシワラ雑話。
47:51その中に木文の晩年が描かれている。
47:57木文は金を使い果たし寺に籠った。
48:06また江戸後期の書物には年老いた木文は貧窮し、かつての使用人から毎月一両を恵んでもらって食いつないだと記されている。
48:20果たしてそうだったのか。
48:25伝説とは全く違う木文の姿を伝える場所がある。
48:35ここは神奈川県横浜市ほどがや。
48:39東海道の宿場があった場所だ。
48:45木文の息子がこの程ヶ谷塾の本陣に無雇用市に入ったというのだ。
48:56代々本陣を任されてきたカルベ家の19代目、カルベ光一さんに一族の墓所を案内していただいた。
49:08こちらが7代目の西米のお墓になりまして、紀国家文在門の次男と言われる方のお墓になります。
49:23後継の男子がいなかったカルベ家に向こう入りし、
49:28当主となった紀文の次男、西米。
49:36片わらの石碑には、紀文の自生の句が刻まれており、
49:41紀文とカルベ家の浅からぬつながりをうかがわせる。
49:47非常に財政的に厳しいところがありましたので、
49:54そういった意味で豪商の方の次男を迎えることによりまして、
50:02いわゆる持参金を持ってきていただいて、
50:07財政の足しにしたというところもあるかと思います。
50:11記録によりますと、500両。
50:17今で言いますと、大体5000万円ぐらいの金額になろうかと思います。
50:21また、紀文は持参金のほかに、こんなものまで持たせていたという。
50:36これは、キノコ宮文在門の次男が向こう入りされたときに持参したひな飾り。
50:44例えば、このような小さなひな飾りの一部がこちらに入っております。
50:56いわゆる本陣の建物の中に飾っておりました。
51:01現在、こういう形で家に残っていると。
51:06これがひな飾りの全容。
51:11御殿の中にひな人形が配置されている。
51:16多額の持参金だけでなく、これほど豪勢なひな飾りまで持たせていたというのだ。
51:29貧窮した老後というのはあくまで伝説。
51:34貴文は財務省を廃業。
51:37それまでの蓄えで悠々自適の生活を送ったと考えられる。
51:41晩年の貴文は徘徊をたしなみ、松尾芭蕉の門下、高雷企画に弟子入りし、千山と豪したとも伝えられる。
51:46こちらが貴文の読んだ句。
51:51主は貴文の読んだ句。
52:00主は垂れ。
52:03井筒は錆びて霧の花。
52:07過ぎ去った日々を懐かしんでいたのだろうか。
52:12歴史の表舞台から去った気分。
52:23しかし忘れ去られることはなかった。
52:27江戸後期には歌舞伎や物語の主人公になり、いくつもの逸話が作られた。
52:35みかん船伝説や吉原での豪遊の数々。
52:40その姿は時代を超え、さまざまに語り継がれた。
52:47昭和34年には、貴文誕生の地ともいわれる和歌山県湯浅町に、貴文を称える日が立てられる。
53:00立てたのは、貴州生まれの大事業家、松下幸之助だ。
53:08松下は気分をこう語っている一代で巨満の富を築き一代で使おうてしもうたがあんだけやったら男の本望やな。
53:27井田さん、この気分の選択、続けなかったため、現代には気分百貨店とか気分銀行はないわけです。その一方で、ここで一代でスパッとやめたことで、それは虚実ないまぜですけれども、伝説をたくさん生んで、みんなの記憶には残ったんだと思うんですよね。
53:51気分には別のビジネスを始めるという選択は当時業界が新しい三井とか住友とか近野池とか新しい世代が出てきてそういう人たちが今度、共法改革の時代になってくると今度はパックに新しく接近していくわけですよね。
54:13だけど近づきすぎないようにって彼らはみんな言って近づきすぎるとお金を貸したのが倒されて踏み倒されてしまう。そういう用心をしながらって非常に堅実な経営をしていく。だんだんだんだんそういう新しい波が来た時に彼の居心地っていうのは悪くなってくるし居場所ってなくなってくるし。
54:31老後貧窮したっていう説もあったんですけど伝説としてはいっぺんに上がっていっぺんに落ちていく方が話としては明快ですよねだからますます貧窮って話になっちゃうんだけど決してそういうことはないっていう。
54:44あのほどがやのあのカルベゲの墓すごいですね気分はいろんなものにその資産を変えていったと思うんですよで家柄人脈資産っていうのもやっぱり世の中あってあの社会は江戸社会っていうのはでそっちにやっぱりシフトもして次男はそこへ入れたんだと思うんですよね。
55:07あの結構由緒あるあのお家であとね私これはね僕の勝手な想像なんですけど程ヶ谷の本陣にあの次男入れとくと有利かもしれないんですよなぜかっていうと本陣って西日本の大名ほとんどあそこへ泊まるはずなんですよそうしたら全部知り合いになるでしょでだからもう一回ねこのキノクニアがねあの材木賞としてね
55:37政治が変わって再起する時に絶対必要な人脈が手に入れられる場所なんですよそこも考えてたあのぐらいの材木賞だとそのぐらいのこと考えても不思議ではないなというふうにはちょっと読み過ぎかもしれないけどあの思いましたねうん。
55:56今日見てきたキノクニア文在門ですけれどもバブルに乗って大儲けをしてそのお金を派手に使ったっていう姿を見てきましたけれどもそんな気分のことを日本人ってなぜこういうふうにヒーローとして後に語り継いでいったのかなって最後疑問に思うんですが大井さんいかがですか。
56:46新しい経済活動と文化を展開していくその時にもそういえばかつてああいうリーダーがいたっていうそんな形で見直されるそういう意味では膨らんでいく要素というのはあったのかなというふうに思いますね。
57:00江戸っ子のまあ肩木にあったのかなと思うのは例えばキノクニア文在門がしっかりとした組織を作って支店を支店網を整備し家内というかそのお店の中のお棚の中の司法を作りとかっていうそういう組織を作っていったら何かまあ何かありきたりな創業物語ですけどバーン儲けてバーンとなくしてスパッとやめたっていうと何かすごい江戸っ子っぽいな。
57:28っていうそういうところも受けたのかもしれない。
57:33最後に井空さん今回キノクニア文在門見てきましたけれどもどうでしょうかこのキノクニア文在門が何で僕らにこんな有名になったのかっていうか伝説がこんなにみんなに楽しまれたのかっていうことをやっぱり考えたいですよね江戸時代ってあの威張ってるんですよね将軍様とか大名とかがで残ってるそういう川柳とか見るとあの気分がその大名になってるんですよね。
57:52気分がその大名とかそういう支配者よりあのしのぐような何かができていることをやっぱり庶民は気持ちよく見ていただくとあと気分もお金を目的じゃなくてあの楽しみの手段に使ってるところに喝采を送ってるわけですよ。
58:11ひとばに3000両とかねそういうようなお買いを使い方は普通はしないはずででそれに多分小気味がいいと思ってあの優秀社会とも呼ばれるあの江戸の社会の中で優秀来歴なくてもこういうことができるぞ。
58:23っていう夢を見せた。
58:35皆さん本日はありがとうございました。
58:39conseguenhanhash financing
58:54デスプレミアム4Kでより美しい映像を。春のおすすめ。
59:00What do you think?
59:02That's cool.
59:04I'm going to be a cop in the car.
59:06I'm going to be a cop in the car.
59:10This is the country of the Carly Classics History.
59:12We are going to be a cop in the car.
59:14It's the name of the car.
59:16I'm going to be a cop in the car.
59:18I'm going to be a cop.
59:22It's called the Carly and the Carly and the Carly.
59:24It's called the car.
59:26日本でも大ヒットした海外ドラマ普及の名作シリーズ
59:32あの感動をもう一度
59:35金曜午後6時35分は空想特撮シリーズ
59:41ウルトラマンほか特撮ドラマの金字塔を4Kリマスター
59:49土曜夜9時プレミアムシネマ4Kもお楽しみください