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00:00Now, just do
00:02BSTBS
00:07It was born in Tokyo, the second FM album, the second FM album.
00:12I was born in the mainstream world.
00:1981.3 FM
00:21J-Wave
00:23So, J-Wave
00:25音楽メディアの主流がレコード、カセットからCDへと移行した1980年代の終わり。
00:35そのラジオ曲はバイリンガルナビゲーターによる英語を交えたトークと、
00:40洋楽中心の番組編成で絶大な支持を集めました。
00:46J-POPという言葉も実はこの曲独自の選曲基準から生まれたもの。
00:53あの熱狂はいかにして生まれ育まれたのでしょうか。
01:00今宵開催するのは、J-Waveを様々な立場で支えてきた関係者たちの同窓会。
01:05今、時空の扉が開きます。
01:07関係者たちが語る、あのムーブメントの舞台揺覧。
01:16それでは、J-Waveの関係者たちをお迎えしましょう。
01:221人目の関係者はこの方、Mr.J-Wave、クリス・テプラーさん。
01:292人目の関係者は、ディレクターとして開局当初から番組制作に携わってきた、
01:44ラジオ制作会社シャララカンパニーの相談役、佐藤照夫さん。
02:013人目の関係者は、広告代理店のラジオ担当を経てJ-Waveに入社。
02:06編成局長も務めた久保野永康さん。
02:08そして4人目の関係者は、リスナーに始まりナビゲーターも務めるようになった秀島文香さん。
02:25和さんはラジオって聞かれます?
02:40そりゃあもうもうそりゃあもうええ最近最近聞かれますあのええ本当に困りますね本当に通ってないんですよラジオ芸人やってるラジオやってる人やっぱ多いとは思うんですけど一応やらせてもらってるんですけど本当に聞かないですねそうですか残念ですいやだって和さん生まれたの1984年でしょ?
03:0984年です私はだからJ-Waveは88年ですからねえ4歳の時でしょ親父の車とか乗ってる時に何か車の中でかかってたラジオ番組とかを何個か聞いてた記憶はあったりするんですけどこの番組を聞くっていうのはそんなになかったかなっていう気がまずは唯一無二のラジオ曲がどのようにして生まれたか?
03:34そもそもまずJ-Waveは一体どういった経営で誕生したのかというのを伺いたいと思うんですけどもこれ1988年っていうまあ年なんですけどもえっとこの時第2のFM局として誕生したんです第2のFM?
03:51J-Waveは1988年FM東京に次ぐ第2の民放FM局として誕生
03:59当時の社名はFMジャパン
04:03開局前から注目を集めていました
04:05広告代理店の立場で開局を手伝った大倉さんは当時をこう振り返ります
04:14東京の2波っていうのは異様に注目されたんですね
04:18というのは全国で初めて都市圏に民放FM局がもう一局的にそれまでは一局だけでしたから東京の場合FM東京ですが初めてもう一局できるということでものすごく湧いたんですね
04:34その作るよっていう段階から一斉になんか沸騰したみたいな注目度は非常にもともとが高かったんですね
04:44日に日に高まる新たなFMラジオ局への期待関係者たちはどう受け止めていたのでしょうか
04:53FM局ってFM東京とか東京が一番最初にできたと思っている人多いんですけど実はFM愛知が一番最初なんです
05:01FM大阪があってその次にFM東京が立ち上がるっていうのは結構意外と皆さん
05:07なんで東京の方が圧倒になっちゃったんですか?なんか最初だったら別にね東京から始まりそうなもんなんですけど
05:13そこにまた一つ歴史があったその前にFM東海っていう東海大学がやってる学校がやってる放送が最初に認可っていうか
05:21それは学校放送だったんですよそれがFM東京に変わっていくっていうそういう流れがあって
05:27FM東海はFM東京なんですよねそうか今FM東京ですか大株主東海大学ですもんね
05:32そうですそうです
05:33当時社名をステーションネームとしていた時代なぜJ-WAVEを名乗ったのでしょうか
05:41J-WAVEという言葉これ最初からもうこの名前は改革当時から決まってたのでそうですねただその時まだ会社の名前はFMJAPANっていう会社でで代入FM局ってずっと言われていたんでどんな名前になるんだっていうので僕はその時広告代理店の方でJ-WAVEを担当している新入社員だったんですけど先輩たちはですねJ-WAVEだったよっていう東京FMよりでかいなみたいなでかい考えましたよね
06:10随分でかく出たなみたいな感じのどうなんだろうって正直ハードルがどんどん上がってますよね上がってたんでしょうね多分現場の方はねどういうことやんの日本代表みたいなことを急に出したけど我々の先代とはすごいこうでも多分すごいやってるぞっていう気持ちで今までのFM東京にない放送局っていうのをどうやって作るのかっていうことを考えていったんだと思います
06:40東京初の民放FMラジオ局FM東京が誕生したのは1970年
06:47そして遅れること18年それに対抗する局として誕生したJ-WAVEはそもそもどのようにしてスタッフを集めたのでしょうか
07:00まずどういう経緯で声をかけられたのか
07:02そもそも1970年にFM東京今の東京FMができて僕たちはそこでフリーランスで番組いっぱい作ったんですよ
07:11それでJ-WAVEが立ち上がる1988年そこにフリーランスでやってた連中みんな集まったっていう経緯があって
07:20でその中には東京FMにいた方がいたり文化放送にいた方であったりそうした人みんな集結して作ったっていう感じですかね
07:29まあ自分のことで言うとほとんどの東京の放送局の番組を作らせていただいてます
07:36ただ質がいいかは別ですよ
07:39それだけやってるってことは質がなきゃ
07:42基本的にフリーランスの人だって質が悪かったら声がかかる
07:45なんでそんな仕事をいただけたかっていうと
07:47構成もやるし選挙区もやるし
07:50自分で編集してそのままパッケージで入れるから
07:53コストパフォーマンスは良かったんでしょ
07:55何かどんなことでも困ったときに頼ったらやってくれるってことですか
07:59そうだから困ったときのなんか助っ人みたいな感じですか
08:02ベニヤーさん
08:03それだけじゃあ声変わるってことは
08:05方々で困ってる人が多かったってことですよね
08:07ちょっと立ち上がったときは人が頼らないから
08:10どうしてもやってチャンスがきますよね
08:12そしてクリスさんはどんな経緯で
08:14僕もベニヤーですね
08:15僕もまた海外向けの広告プロダクションに行ったんですよ
08:20企業VPを作ってたんですね
08:22企業VP海外向けの英語の企業VPを作ってて
08:26最初コースやってたんですけども
08:28ディレクターがお前日本語も英語もできるし
08:31声もなんかいけそうなんで
08:33自分でコースで作ってそれでボイスオーバーもやる
08:37そこからナレーターを始めたんですよ
08:39当時すごいにわかにバイリンガルブームで
08:42それで重宝がられて
08:44結構CMのナレーションとかやり始めた頃に
08:47僕歌手のアンリーさん
08:50I Can't Stopのアンリーさんと非常に仲良くて
08:54アンリーがアメリカにレコーディングに1ヶ月くらい行くっていうので
08:58FM東京で彼女は箱番やってたんですね
09:02その代わりに代打として僕を推薦してくれたんです
09:05その番組を4回ほど僕アンリーの代わりに撮ったんだけど
09:10急に代わりで入れるもんなんですか
09:12ある程度経験値がないと
09:14アンリーはすごい嬉しいこと言ってくれたんだけど
09:16この間に来てくれた時に
09:19私はあんたずっと化けると思ってたのよ
09:21ということを言ってくれてすっげえ嬉しくて
09:24でもそこの部分で
09:25彼女はそこで僕を推薦したんですね
09:29やっぱり運ってすごいもんで
09:31たまたまアンリーのディレクターっていうのが
09:34斉藤英夫さんっていう方なんですけど
09:36僕の恩師のような方なんですけれども
09:38これが1988年の2月3月ぐらいだったんですよ
09:43で終わった後に
09:45収録終わった後にクリスちょっと話があるんだけど
09:47実は俺3月いっぱいで
09:51このFM東京を辞めて
09:5410月から新しいFM局が始まるんだけど
09:58来ないって言われたんですよ
10:00それからJ-WAVEをやるようになったっていう
10:03新しくFM局を立ち上げる
10:05局を作るってなったら
10:06それは自分からやりたいっていう人も
10:09いっぱいいるんじゃないですか
10:10その中でヘッドハンティングされるって
10:13やっぱめっちゃ変われてたんですか
10:15すげえラッキーだったと思いますよ
10:16でもやっぱり年も当時僕はもう30だったのかな
10:21でFM横浜が1年先に開局していて
10:26どちらかというとかなりバリンガルだったんですよ
10:28すごくアメリカのラジオの感じだったんだけど
10:31すごくやっぱり若かったんですよね
10:33やっぱりイケイケみたいな
10:35ヘイメン落ちこなーみたいな
10:36そんな感じのノリだったんだけど
10:38J-WAVEはもうちょっと落ち着いたアップスケールというか
10:41大人のステーションを目指していたっていうことで
10:44ちょっとやっぱり声低め
10:45ちょっと渋め系で行こうみたいなのが
10:48それがなかったらじゃあこういう形にクリスはなってないんですよなってないと思いますよずっといまだに便利屋だと思いますよ俺
10:58こうして31歳の時激動の渦に巻かれたクリスさん大抜てきの理由の一つが声どんなところがJ-WAVEにフィットしたのでしょうかいいよねって思うのはどの辺なんですかやっぱ声質とかなんですか?
11:15まああのまあ硬質もあるし声自体がやっぱりそのおしゃれっていうか何ていうのそう存在感が合うでもう一つはそれまでにあったほかの局でしゃべってる人と明らかにキャラクターが違うスタイリッシュだからそれすごく大事ですよねだからしゃべりって思うんですけど必ずしもうまい人がいいわけじゃなくてやっぱり個性的な人がいいですよね
11:38アナウンサーだったら必ず噛まずの読むって大事じゃないですかでも噛んでもいいから個性がある方がいいっていうそういうふうに思いますよねまあクリスター噛まないけどいや俺もう噛みまくってます噛みます噛みますよもう一番俺多分JWEBナビゲーターの一番噛むの僕ですよほんとですかうん俺さんざんタモリクラブ見てますけど多分1回も噛んでますよあれだって編集できるじゃないですかそういうことなんですか秀島さんは関係者の方とまあ世代がちょっと下になるそうですね皆さんがこのように
12:08前夜で一生懸命日夜ご準備されている中で私は1988年小学校6年生で光源氏と弟と読んでたコロコロコミックとファミコンに夢中の全然おしゃれ感がないですけど前夜ですから小6でで1988年の10月に開局するんですがなんとその時は父の仕事の関係でアメリカに引っ越し
12:38してしまっておりましてその当時の社会現象というのを一切その伝聞でしか知らないものですから今こういったお話を聞くというのが本当歴史上の人物からあの時の合戦はこうじゃったみたいな話をそんなに老けてはいないと思うんですけどどういう経緯でJWEBで学生の時に通訳のアルバイトをしていたんですね
13:08英語ができるADさんみたいな形でいろいろな通訳事務所に所属していろいろな現場に出入りしてたっていう時代が学生時代ありましてそこの先輩がラジオってすごい楽しいし秀島英語できるんだったらオーディションも行われてるみたいだからちょっとトライしてみればみたいなそこからいろんなオーディションを受けまくって拾っていただきました。
13:36拾っていただいて今に至るということなので唯一私はこのお三方の中で比べるとリスナーだった時代っていうかJWEB一リスナーだった時代はいもうずーっと聴いてますねこれ皆さん基本的にはバイリンガルなんですか英語やっぱり一曲当初はそうだあのねやっぱり当時は本当さっきも言いましたけどやっぱりバイリンガルブームだったんですよねすごくやっぱりもてはされたっていう表現が
14:06正しいかどうかわからないですけれども
14:36ということは国際化を目指そうみたいな動きが当時すごくありましてそういう意味でJWEBの一つのアイデンティティっていうのは日本語のみならず海外の人も聴けるラジオステーションっていうのは必要なんじゃないかっていうのが確か当初のコンセプトだったと思うんですよ。そういう意味ではやっぱりバイリンガルっていうところは一つさっきも言いましたようにステーションのキャラクターになったのかなっていう気がしますね。
15:00その時の時代っていうのが1988年っていうのをみんなで思い返してみるっていうかおさらいするとまずパーソナルコンピューターがないんですようんなるほどWindowsができたのが95年ですからWindows95959595ですもんね
15:163.0も3.1もない。携帯もギリギリないか野田さんがやってるこういうシノシがギリギリあるとかいう時代でサブスクもないから音楽を聴く方法ってラジオからしかなかったんじゃないかなと思うんです。
15:35もちろんレコードを買えばいいんだけど当時レコードの再生期ってあんまり良くなくてカスカスとかプチプチとか言ってやっぱFMラジオが一番いい音でカセットテープで録音して聴くみたいなそうか録音する文化そうという文化があったんです。
15:51ちょうどその文化の一番最後に開局したのがJ-WAVEで多分J-WAVEは開局した年ぐらいにCDとアナログレコードの販売数が逆転をしていくんでその時にやっぱり一つコンセプトの世界で聴けるような放送局にしようと国際化って国際的な放送局にしたいっていう一つのものがあって普通のそれまでパーソナリティとか言ってたんですよラジオ出る人。
16:19だからそれをやっぱり音楽を紹介していくナビゲーターとしようとかそれ一つ一つを細かく定義をして決めていこうっていうのがあったと思います。
16:29バイリンガルを招集彼らをDJでもパーソナリティーでもなくナビゲーターと呼んだJ-WAVEその一方でターゲットとするリスナーも厳選それがアップスケールな人々
16:59皆さんこちらをご注目ください。薄毛でお悩みだった男性がこの変化。しかもこの方71歳。70代80代の薄毛悩みには卵の育毛剤ニューモ。
17:18ではなぜ育毛剤に卵の成分なのか。それはこちら。
17:24卵を温めるとこのようにブワッとひよこが生まれてきますよね。
17:30この生まれたてのひよこの姿をヒントに卵の成分を配合したのが育毛剤ニューモです。
17:39男女年齢問わず使えるから。80代女性もこの通り。
17:46やっててよかったなと思いますよ。
17:48毎朝毎晩真剣にやってました。
17:52まだまだね。続けられればね。続けていきたいと思います。
17:58さらに70代男性もご覧のとおり毎日毎日さんと結婚をよくしてニューモアでやってますもうほんとよかったです続けてくれるといいなって思いますやっぱ若いじいじいでいたいなっていうのがありますからちょっとまあ続けますねこれはもう歳だからと諦めたあなたもぜひ一度お使いくださいここで数量限定金ボトルキャンペーンなんと今なら初めてのキャンペーンです。
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19:15ヒアリの声が聞こえてくるさあみんなで生きる喜びを声に出す祭りの喉にも龍角さん
19:30憧れの地に家を買おう!金曜夜9時
19:35アイデンティティを確立するためバイリンガルの起用など様々な策を打ち出したJ-WAVE
19:43トークは最小限かける曲は基本洋楽ばかりスタイリッシュというイメージを定着させました
19:52そんな彼らが当初ターゲットにしていたのがアップスケール層と呼ばれる人々
20:00J-WAVEは設立以前曲として守るべきトーンとマナーを名文化した編成騒論を作成
20:11そこに書かれていたターゲットこそがいわゆるアップスケール層それは例えば都会的で知的文化を目でライフスタイルに美意識を持ち経済的にも余裕がある洗練された大人たち
20:31先ほど申しましたがやっぱりバブルがまだ続いていたのでアップスケールという表現がすごくあってよりちょっと高めていこうよというような意識がすごくあってそこが一つのコンセプトだったんじゃないかな
20:47だからやっぱりジャジオをずっとかけているといろいろそのトークが入ったりとか集中したいときなかなか集中できない
20:54でもJ-WAVEはどんな状況でもかけてて心地よいという
20:58なんかそういう心のゆとりみたいなものを提供しようとしていたのではないかなという気はします
21:05それがやっぱりオシャレというような表現につながっていったりとか
21:09やっぱりアップスケールという一つちょっと高めていこうよというような形になったのかなという気がしますね
21:16色々定義されてますね色彩デザインにこだわる音楽サウンドにうるさい経済的にも意図りを持ち節約には無縁木や花の名前に詳しいと自負
21:26花持ちならないですね
21:28今はね呼ぶと
21:33その頃88年ぐらいの人って大概の人はこう思ってるんです
21:37我こそは
21:39これがいいんですね
21:41自分たちがこういう人になりたいんじゃないけど
21:45みんな自分たちはそうだと思ってるんです
21:48一応総中流的な感覚とした時代としては
21:51どっちかというと我々はこっち寄りだよねってみんな思いたいんです
21:54当時はまだ勝ち組巻き組って文化してないから
21:57みんなアップスケールってそこに目指していくっていうか
22:02そこにもう一つ生活に売り売りを作りたいなってみんなが思ってた時代だったんじゃないですかね
22:10その前にFENってご存知ですか
22:14FENってファーイーストネットワークって言って
22:16これは米軍の実はラジオ局なんですよ
22:20日本にはたくさんの米軍基地があって
22:23それは他にアジア世界中にあるわけですけれども
22:26米軍キャンプ向けの放送
22:28直投放送ってことですか
22:30そこがすごく実は60年代50年代から60年代
22:35ものすごい人気があったんですよね
22:3670年代もそうなんですけど
22:38多くのやっぱり日本の方がFENを聞いてて憧れていて
22:42そういうアメリカのイメージってのがあったんですよ
22:44横浜 FM横浜が開局した時は
22:46なんかそのFENを日本でやってるという
22:49なんかそういうようなニュアンスがあったんですけど
22:52そのもう一歩先行こうよって
22:54その20代10代とか20代よりかは
22:5630代40代を狙おうよっていうか狙おうよというか
22:59それをメインターゲットにしようというのが
23:01多分J-WEBのコンセプトだったと思うんですね
23:04だからおのずと音楽もそういうUSカルチャーではなく
23:08もっとこうヨーロッパだったりとか
23:10アジアだってエクゾチックな
23:12エスニックな部分だったり
23:14そういうような要素を世界って広いし
23:15っていうところで
23:17そこがなんか一つのサウンドメニューじゃないけど
23:20J-WAVEの選曲の在り方を構成したのかなって気はしますね
23:24一リスナーとしてもそのライフスタイル
23:27その聞こえてくる音で
23:29こういう大人たちが楽しんでいるんだっていう様子が
23:34見えてくるというか
23:36暮らしぶりっていうんでしょうか
23:38家に帰ってからもきっとこの人は
23:41この食器でこのお茶を飲んでるんだろうなっていう
23:45細かいところまで見えてくるっていうのが少なくとも牛丼屋に駆け込むような生活はしてないですねではなかったと思いますねこれはカビラさんがおっしゃってたんですけれども放送でいや今日は寒いから鍋にしようかと思うんですよっていうお話をオンエアでされたんですってそしたらリスナーさんからJ-WAVEナビゲーターさんが鍋なんか食べるんですかっていうようなリアクションが来てなんですかそのアイドルが閉じないみたいな
24:13それほどやはりこうラジオの向こうのおしゃれな人たちっていうような結構徹底したイメージ戦略なんだそうだったと思います
24:25アップスケール層を狙ったイメージ戦略が功を奏し開局するやたちまち人気沸騰折からのバブルケーキにも背中を押され1988年いきなり最盛期を迎えたのでした
24:45僕もこんなにブレークするとは思ってなかったんですよだからある種僕はもう本当に素人だったんでさっきも言ったようにもうその前は便利屋だったんで全然ラジオのことは分からなかったんだけれどもJ-WAVEの創設者たちは結構勇気があったなと思うんですよガッツがあってバーンって振り切ったんですよね今までの常識じゃないことをやってそれが当たったと思うんですよ
25:09でもう一つ要素があって音がすごくいいんです要するに他の曲が大きな音で聞こえるんですよでそれは何でだろうと思ったらそれはリミッターと機械のせいで小っちゃい音でも大きく聞こえるっていうシステムがラジオにあってそれをほとんど日本のラジオで使ってなかったんでそれをJ-WAVEのスタッフが分かってじゃあJ-WAVEでもちょっと音がよく聞こえることを考えようって言ってリミッターに来たりEQ
25:38リバーブに凝ったりそれでステレオマックスで音を広げるマシンがあったりしてそういうものを使っていかにいい音に聞こえるかってことを技術のこと考えたんですねその時は多分いい音のこの概念を変えたんだと思うんです他の放送局は原音再生忠実にっていうか原音をいかに忠実に出せるのかっていうことを技術としては考えていたんですけどJ-WAVEはそのかかっている音楽が一番気持ちよくかかるサウンドはよくみんなも自分で好きな好みを変えたりするじゃないですか
26:08そういった意味で積極的にそういったものを調整していったっていう技術的なチャレンジっていうのも一つの成功にあったと思うんですね
26:18あとはビジュアルにも結構こだわってたような気が僕はすごくしてて
26:23開局前にJ-バイゴンっていうグラフィックデザイナーがアメリカのグラフィックデザイナーがいまして
26:29彼がJ-WAVEを象徴するようないろいろなモチーフ
26:34これはJ-WAVE開局当時のポースターなんですけども
26:38非常に象形文字っていうか何ていうのかな
26:41気化学的なデザインでそれが僕はすごくかっこいいと思ったんですよ
26:45あえてこういうサウンドだからじゃあこういう映像とかでは全くなくて
26:50イマジネーションを駆り立てる一体何なんだろうっていうこれやっぱりラジオ局としてこう見えないラジオを可視化するっていうかどういう形でメッセージしていくかっていうものに関してはこのポスターのキャンペーンってすごくなんかみんなに伝わったような気がするんですよね
27:07で88年に開局して開局してもう最初からやっぱり勢い景気いい感じなんですか
27:15そうですね最初からもう最初の3年ぐらいはすごく調子が良くて大きい利益もいただいたと思います
27:21一番バブルで一番お金があった時だから自分たちがやりたいことができるだけのお金もスポンサーも集まってきたってこと大きいことだったと思いますね
27:32スポンサーさんが順番待ちしてたみたいなお話をあくまでに今ちょっと全部枠がないのでお待ちくださいみたいなそういう時代があったという風に都市伝説上に聞いていましたけれども
27:46だって1つの番組のほかのスポンサーは待ってたりしますもん
27:49景気がいい話ですね本当にそういう時代だったり全然
27:52見事スタートダッシュを決めたJウェーブ
27:57イメージ作りに一役買ったのが
28:02当時としては珍しい英語で歌い上げるジングルでした
28:08ジングルってものすごいラジオ曲にとって大事なことでほんの数秒でこれはどこの曲ですよって言える?
28:34なおかつJ-Waveは基本的に同じメロディーを使うということは一つの暗黙のルールになっていて基本的にアメリカで作ってくださってフランク・コーディーって言ったら作ってくださるんですけどやっぱり流れるだけでももうその世界ができちゃうそれはすごいことだと思うし各曲いろんなジングルを作っていますけど一番よくできたジングルじゃないかなと思いますね。
28:59加藤さんこの何かJ-Waveのメロディーなんてちょっと聴いたことはなかったですかそうですねそうですねでも今ふと思ったんですけれどもアメリカで作ってたんですよねそれって今のK-POPと同じですよねだからK-POP今やっぱ曲ってほとんどソングライターってもうバリバリのアメリカだったりとかヨーロッパで活躍してるソングライターが作った曲を観光を作ってたんですよね
29:29アーティストが歌ったりしているわけでそこにちょっと近いものがあるかもしれないですねそうですねもともとアメリカにはジングルの専門の会社があったりしてジングル屋さんっていうのがあってそればっかり作ってる会社があるんですよ何でしょうジングルがその放送局のキャラクターを決めるっていうところもあるから本当にジングルでその何だろうなよしよし決まるって大げさですけどそれぐらいジングルって重要なファクターだと思いますね
29:59あってあの歌うんですよだからその呪法を8時だったり9時だったりすると歌でこう
30:29あれが時報なんですよそれまでの放送局の時報っていうのは
30:59えーすごいじゃあ結構前から始まるんですね
31:04時間っていうものからの縛りからはちょっと解きはたられたいっていうメッセージがあるので時間に関してもちょっとふわりとその心弦黒くって形でピーンじゃなくてああいう歌をで表現していくみたいな音楽的な解決をしてると思うんですよね
31:24常に上質な音楽で満たされているそんなイメージが定着したJWAVEはその圧倒的なまでのブランド力によりさまざまな曲をヒットさせてきましたちなみに開局時最初に流れたのはどんな曲だったのでしょうか?
31:48クロスラビューっていうステーションを代表するようなキャラクターの曲?
31:55リチャード・パワー?
32:02いやもともとはヒット曲じゃないんですよJWAVEのためにあるような作ったような曲でそれが1曲目にかかってそれを結構頻繁にかけるようになったらヒットしましたね
32:09これ今の時代聞くと失神症だと思うんですけども当時のあのさっきそれ言ったようにバブルのあの時でなんだく疲れちゃったんだよなっていった時に試験放送ってあるんですよ放送機を開局する前にいろんな電波の調整とかどこまで聞こえるかとかこれが一番話しなけれどもね
32:19今の時代に聞くと失神しそうだと思うんですけども当時のさっきそういうといったようにバブルなんなんだ疲れちゃったんだよなっていったときに試験放送ってあるんですよ放送機が開局する前にいろんな電波の調整とかどこまで聞こえるかを調整これをずーっとこれを流してたんですけどこれの曲はなんだという問い合わせが開局前からすごいたくさん殺到をして新しい曲開けた。
32:49Yeah, that's how you do it.
32:52This is how I like to play a beat.
32:57It's so cool.
33:01It's so cool.
33:03I think I did a song with the Aislanda song, because I didn't play a beat.
33:13でも、かけると、ものすごい勢いでこの曲何ですかって問い合わせが来るんですよ。
33:1980年代から90年代にかけて音楽業界をリードしていたJ・WAVE。そして、ついにあの言葉を生み出すのです。
33:33やっぱり日本の音楽もかけたいよねっていうときにこんな曲だったら全然、
33:38Yogabukとか書いてもおかしくないじゃない それをJ-Popってキーワードで探そうって
33:45誰が決めたか本当はわからないんですけど
33:47きときと富山の 富山上美役
33:54富山上美役の横江です
33:58見てください この元気いっぱいで力強いダンス
34:03実は全員60歳以上なんです
34:06But she is also 79 years old!
34:10She is so happy and healthy and健康.
34:16So, let's go!
34:20I'm going to go to bed.
34:23I'm going to go to bed.
34:26I'm going to go to bed.
34:29I'm going to go to bed.
34:33I'm going to go to bed.
34:38Go to bed.
34:43Wow.
34:45脳骨成分の中で唯一医薬品有効成分として承認されているコンドロイチンのダブル処方が効く。
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35:40加山常備薬は皆様の健康な足腰を全力で応援します。
35:48今や当たり前のように使われるこの言葉。
35:57実はJ−POPっていう言葉J−WAVEが作った?
36:02これはまあそれはもう僕もいないですけどそこにはえっと洋楽しかかからないJ−WAVEでまあ何とか邦楽を紹介していきたいっていうこともあったと思うのでJ−WAVEのそのまあ明確なそういう放送行動があるわけじゃないんですけどもそのテイストの中で掛けられる邦楽って何だろうっていう中でJ−WAVEで掛けられるこうポップスで何かJ−POP?みたいな感じで。
36:21話で何となく曖昧に決まったとこそこ心とかでもっと邦楽を掛けたいなみたいなことあったってことなんですかね。
36:37でも作る方としてはそれでいいのかっていうジルマもあってやっぱり日本の音楽もかけたいよねっていう時にその時代どういう音楽かっていうと山下達郎さんとかあと太田圭司さんのロングバケーションとかそういうのがあってこういう曲だったら全然余楽とかけてもおかしくないじゃないとそうしたらその延長で今もきっとそういう音楽があるはずだからそれを
37:07J-POPってキーワードで探そうっていう誰が決めたか本当わかんないんですけどそうなると方角の中に線引きがきれいにあるかどうかわからないですけどJ-POPってものを探した後のように今方角とJ-POPってほぼ同義語になってるじゃないですかそれだけ広がったっていうのはなんか言葉の使い合われ方が違っちゃってるのはその作り手としてはどうなんですかなんかちょっと違和感があるというのは感じないですかいや逆にそのJ-POPって言葉がすごく広がってもうJ-POPのものだけじゃなくて
37:36世の中のものになってそれは音楽自体は結構J-POP化してるシティーポップもそうだけどそれはすごくいいことだと思いますでも一方で通り曲があっても全然問題ないと思うんですよね当時みんなもうJつけりゃいいみたいなとこあったんですよJリーグだったりとかJ-MeatもありましたからねJ-Meat日本のお肉っていうのでJ-MeatっていうのがあったりとかこれJ-POPの中に例えば小室さんの曲とかも何となく僕は含まれてると思うんですけどあまりそういうのは書けなかったわけですよね
38:06これやっぱ何か違うって基準があるんですか
38:09僕は前に小室さんの番組に出演して小室さんと話して何度俺の曲かけないんだよみたいな話にされたんだけど
38:18でもこれはだからさっきも言いましたようにJ-WAVEは一つのスタイルっていうのがあるじゃないですか
38:25そこはやっぱりそのコンセンサスっていうのが出てくるからだから僕はJ-WAVEのような選曲スタイルがあってもいいのかなっていう気はするんですよね
38:34あとねやっぱりその言葉が飛び出す強烈に飛び出してくる言葉の曲っていうのはあまりJ-WAVEはかからなかったんですよ
38:42あの開局当時やっぱりそのリララックスしたようなそういうアンビエントなサウンドが主流だったわけですよね
38:49で日本語の曲がJ-WAVE当初かからなかったっていうのは日本語だったらすぐ耳がえ何言ったの
38:56なるほど
38:56だからこう洋楽のいいところって何言ったか分からない
38:59それが結構一つの魅力な部分もあるんですよでもほら歌詞があまりにも立っちゃうとちょっとそこそこはJ-WAVEの一つのコンセプトと外れるようなそこもあるのかなって気は
39:11クリスは思い出に残ってるアーティストいますか思い出に残ってるそうですねたくさんもちろんいらっしゃると思うんですけども
39:18まあともにかく僕坂本由里さんが大好きだったんで一生お仕事させてもらったのもすごい思い出ですけれどもでも海外だとスティングさんも何度かインタビューさせていただいてでもやっぱり一番印象に残ってるのがジェームズ・ブラウンジェームズ・ブラウンがあのちょうどあの日は面白いことにちょうど宇多田ひかりちゃんが初めてうちの番組ゲストに来た時のダブルゲストなんですけれどもジェームズ・ブラウンはもう大幅に遅れて
39:48もう大物感満載であの当時のエリー君があのちょうどビルの窓際から見れてあっ来たみたいですなんかリムジンとそうお付きの車みたいのが2台くらい来ましたみたいな
40:03ジェームズ・ブラウンがあのスタジオに入ってきましてでアルバムのプロモーションで来てるとき全く人の話聞いてくれないんですよ
40:11もうともにかくもう豪快でそれであの彼女を連れてきていてそれでともかく
40:18俺の彼女は歌がないんだ歌聞きたいかっていやちょっと彼女を置いといてちょっとアルバムの話をしましょう
40:24いやいやいやどうだやっぱりうちの彼女の歌聞きたいだろうって分かりました聞きましょうって言うんでそれでその晩あのまんま歌われあのジェームズ・ジョプリンの曲から歌い始めましてもう全然インタビューができなかったんで
40:38であのジェームズ・ブラウンって当時あのラッパーたちがみんなジェームズ・ブラウンの曲をサンプリングしてるサンプリングしてそれを勝手にサンプリングしていて
40:48結構いろいろ訴訟問題とか起きていたんだけどジェームズ・ブラウンだけは全くそういう訴訟とかしなかったんですね
40:55若手のラッパーが彼の曲をあの使おうが何しようが全然平気だって
41:01で僕がじゃあブラウンさん僕のあの名前クリス・ペブラーって言うんですけども
41:07あの名前言ってくれますかそれちゃんと録音してて
41:10と言ってくれてそれをもうあの録音し
41:15じゃあうちの番組TOKIOHOT100って言うんですけれども
41:18言ってもらえますかって
41:19I'm James Brown and TOKIOHOT100って言ってくれたんですよ
41:22それをいまだに僕はあの番組のオープニングテーマには
41:26そのジェームズ・ブラウンの声が入っていて
41:28それを海外のアーティストが来るとみんなたまげますよね
41:31どうやってジェームズ・ブラウンにこの番組のタイトルを言わせたの?みたいな感じ
41:35そんなジェームズ・ブラウンの貴重な音源がこちら
42:05改めてすごいですよねこの音源って
42:19そうなのよみんな結構やっぱり海外のアーティストが番組来て
42:23その話をするとみんなびっくりする
42:25ずっと疑問に思ってることがあるんですけど
42:28ガイタレってなんで平気で遅刻できるんですか
42:31あれってどういう文化なんですか
42:35めちゃくちゃ遅刻するじゃないですか何時間とか
42:38なんであれ許されてるんですか
42:41わかんない
42:42でもねそれは僕もねちょっといかがなものかなと思います
42:47遅刻するのがなんかかっこいいみたいになってるんですか
42:50それはごく一部だと思います
42:52僕持論があるんだけどこの持論はちょっと口が裂けても言えないんですけど
42:57でもまたその逆にものすごくこうちゃんと時間通りに動く
43:02特に若手のアーティストはすごく多いですね
43:05若手とベンチャーズだけ時間通りに動くじゃないですか
43:07なんでそこだけなんですかみんなめちゃくちゃ遅れるじゃないですか
43:12あれガンズとか3時間とか平気で遅れてきてあんま歌わないしどういうことなんだって思うんですけど
43:17マドンナとかね2時間ぐらい遅刻したりとか
43:19すげー言い訳すげーしゃべるじゃないですか最初
43:20いやーだからなんかちょっとそこのなんかまだなんかちょっとまだ振り回すっていうのが
43:25なんかどこかなんかスターの証特権みたいなところちょっと勘違いしてるところもあるのかもしれないですよね
43:33逆に失敗した大変だったエピソードっていうのあったりしますか
43:37僕も遅刻はでも2回ですね2回あの37年間で2回なんで
43:44まあ許してちょうだいみたいな感じです
43:46どれくらいの遅刻っすか
43:4710分15分ぐらいかな
43:50でもそれぐらいだったらもっとありそうな気もするんですけど
43:54いやーない
43:54バラエティ番組とかだったら別に
43:58今日は誰々ちょっと遅刻でとかでも入れるじゃないですか
44:00JMVでそれできないですよね
44:02できないですねだからまあでもやっぱりそこのとっさでしょ
44:06だからほらもうもう数分の間にどうしようかって決断しないといけないわけ生放送なんで
44:11あの一つ僕学んだのは絶対走っちゃいけないと思う
44:15だからあのラジオでもう間に合うよしここでダッシュなと思って
44:20ともか走ってたんですよ
44:22それエレベーターとはーはーぜーぜーしていて
44:24それエレベーターが開いた瞬間に長い廊下をこう走って
44:27それでブースの中に入って
44:29それパッと見ると本番20秒前ぐらいなんですよ
44:32おおやったやったと思って
44:34セーフと思って座った瞬間にカフを開けたら
44:37はーはーぜーぜーしてるから
44:39もう放送事故ですよね
44:40なんかどっちがいいのかですよ
44:42そうなんですよだから遅刻した方がいいんじゃない
44:44開けた瞬間にみんな心配しますよ
44:46こっちも
44:47ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウとやってるわけですから
44:50もうみんな周りも騒然としていて
44:54そういう時はそれからもう走んないように
44:58でも多分聞いてる人からすると一番面白いのは放送事故かもしれないだからそれを両方分かると多分僕らは困るけどリスナーはどうなるんだろうと面白いなと思ってそういう週もあった方が逆に番組としてはいいかもしれないそれがやっぱり生放送の良さかもしれないですよね
45:16新秘の新秘の健康力健康力健康力元気健康でいたい人この指とのまれ売り上げNo.1高麗にんじん健康食品知ったらきっと飲みたくなる新秘の健康力ねえねえあんた元気の出るもの知ってるかいもちろんこれだよの高麗にんじん高麗にんじんといえば?
45:46じゃあ高麗にんじん健康職人といえば日本で一番売れている神秘の健康力ちっちゃな粒で飲みやすい元気健康絶好調それが神秘の健康力濃厚な高麗にんじん熟成エキスと粉末をギャーっと凝縮独自技術で使用成分詰めました
46:12元気はつらつっていう感じです いつもうるさいなって言われるなら元気です
46:18言われるがままに飲みなさいみたいな感じだったんですね わかりました今は荒れないの荒れないの相棒だよね本当に
46:28私の罪でしょ そうですね
46:31これからまだまだいっぱい元気に生きて自分の好きなことをたくさんやっていきたい ずーっと飲みます
46:40そこの元気のないあなた おすすめよ
46:44ぜひお試し合い 高麗にんじん健康食品シューピの健康力は通常3024円のところ
46:53定期コースなら特別価格2700円 しかも送料は当社負担
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47:15毎日の生活の中で手や足にジンジンビリビリといった不快なしびれや 腰や下半身を襲う電撃の痛みを感じること増えていませんか
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47:44コングルコン1です
47:47最後にJ-WAVEと関係が深い4人が見据える未来
47:54基本的にでも音声コンテンツプロバイダーとしてはずっと続くんじゃないかなって気がしますよね
47:58写真も同じですよね 昔だったら現像しないといけなかったんだけど
48:01今同じ写真を見て同じ画像を見ていても全然その供給の方法が全然違うし
48:07それと同じようにもしかしたらFMではない形
48:11インターネットに組み込まれるのは多分確かだと思うんですけれども
48:15でもずっと続いていくんじゃないかなという
48:19映像をいらない媒体といいますか
48:22音声オンリーっていうのはすごく大事なことだと思うし
48:24運転しているときは必ず必要だし
48:27そういう意味ではずっとこのまま続いていくんじゃないかなという気はしますね
48:32唯一ラジオ局の中で一番ブランド化できた放送局だと思うんですね
48:37そのブランドをどうやってこれから活かしていくかってことを
48:41音声メディアとしてやっていくことがすごく大事だけど
48:44どうやって広げていくかってこれからの大事なことで
48:47僕の昔からの夢だったんですけど
48:49JA部のステーションをぜひ小笠原島に作ってほしいと思う
48:53ほう
48:54小笠原島ラジオから朝の番組
48:56波の音と自然の音と音楽みたいな
48:59結構JA部の原点に戻るような番組を
49:01でも小笠原って東京となってしまう
49:04であんまり放送聞こえないんですよ小笠原だから逆に小笠原島からぜひ番組やってほしいと思ってほうの
49:13今こう昔はラジオってのはずっと最初から最後まで聴かなきゃいけなかったんですけどもこのあとはこういつでも好きなところから好きなように聴ける好きな番組を自由に聴けるって時代に入ってますからその中で音声メディアとしてこうどういうふうになっていくのかっていうのがそこでユニークな番組を作っていくっていうのが一つそれからもう一つの一つの一つの一つの一つの一つは
49:18今こう昔はラジオってのはずっと最初から最後まで聴かなきゃいけなかったんですけどもこのあとはいつでも好きなところから好きなように聴ける好きな番組を自由に聴けるって時代に入ってますからその中で音声メディアとしてこうどういうふうになっていくのかっていうのがそこでユニークな番組を作っていくっていうのが一つそれからもう一つやっぱりもう一回原点に回帰してやっぱり世界中の人が見た時にこの放送局に行ってみたいなと
49:48っていうラジオっていうのをもう一回考えてメイドインジャパンじゃないですか日本から発信するっていうことをしていくっていうとちょっとロマンチックなことになるんじゃないかなと思っていてそのアイデアを募集したいなと思っています
50:03ただ聴くだけではなくて体験するということへの提案というのをこれからもイベントであったりとか小笠原諸島からの放送というのもなかなか今まで聴いたことがないぞというようなびっくりするような新しいアイデアっていうのをまた振り切りまくって一つはJウェブこんなすごいことやってるというような新しいことというのを
50:33リスナーさんからも耳を傾けて私たちが提案していくということも一つ大切になってくるんじゃないかなって思うんですよね。
50:43話はつきませんがそろそろお時間ありがとうございましたありがとうございました
50:52最後にカズレーザーが記す未来への種。
51:07かんぽかっぽかっぽかっぽやまとかっぽ
51:10かんぽコーディネーターの森村直樹です 年齢を重ねるごとに鎖骨神経痛に悩まされていませんでしょうか
51:21鎖骨神経痛は約1300万人 60代以上の3人に1人が悩む
51:30もはや国民病なんです。私の両親も長年鎖骨神経痛に悩まされています 本日はそんな鎖骨神経痛などの神経痛に悩んでいる方に
51:451日1回飲んで効きます。奈良生まれの医薬品親孝行シリーズ
51:52ヤマトカッポをご紹介します ヤマトカッポには痛みによく効くとされる6種の医薬品有効成分を
52:01承認基準最大量配合 ビリビリっとした神経痛にしっかり効いてくれるので
52:101日1回飲むだけでいいんです さらに本日は特別価格もご用意しました
52:19約1ヶ月分の本商品通常税込み価格 3520円のところ
52:27今回は初回限定の特別価格といたしまして 半額以下の1650円
52:36税込み1650円でお届けいたします 1日あたり55円の大特価です
52:44お問い合わせは通話料無料のフリーダイヤル0120777033777の033番までなら大和松薬はあなたと一緒にその痛みに向き合います
53:02まずはお電話ください
53:04ポッドキャストもすごい増えてますよね
53:09うん
53:10気づいたらなんかいっぱい作ってます
53:11だからそこはそれでいいんじゃない?
53:131つのなんか今後のポッドキャストっていうトークっていうこともあるし
53:16でもあとはやっぱり本当になんか時代に忠実にしていて
53:20あんまりもうなんだかんだ言ってJIV開局して37年だからあの基本ポリシーにちょっと違うと思うかえってあそこをフォローしててもね
53:32彼がウィンドシステムと考えてくれてこれが画期的ですよね
53:49ドラクエ作ってる時にはもうメモリーとの戦いです。
53:55番組をもう一度ご覧になりたい方はTVerであれ?
54:07番組をもう一度ご覧になりますね
54:09ごめんなさい
54:10番組をもう一度ご覧になっちゃった方がいいね
54:12ごめんなさい
54:14番組をもう一度ご覧になりました
54:16ごめんなさい
54:20ごめんなさい
54:22おいしい

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